「今日も寒かったね」
「そう?前に比べたらまだ暖かかったでしょ?」
今日も銀様の夜の散歩に付き合った。
出る前に、ちゃんとジャケットを羽織った。
ついでに風呂の電源も点けておいたので、風呂に間もなく入れる筈だ。
「寒いのなら無理してついて来なくてもいいのよぉ?」
「別に無理してないよ。まぁ、散歩の後の風呂が気持ち良いしね」
ジャケットを脱ぎながら俺が答える。
ふぅん。銀様がマフラーをとって、ソファの背もたれに掛ける。
噂をすれば、なんとやら。
風呂のアラーム音が響く。
「それじゃあ、お風呂入ってくるよ」
「私もお風呂に入りたいわぁ」
と背後からの銀様の声に、
「え!?一緒に?」
「…一人で。よ、バカ」
そりゃそうか。
「関節に水が入るんじゃない?」と尋ねると、
「メイメイがとってくれるから問題無いわぁ」
そんな事を言い、ほんの十秒後には、
「ちゃんとタオル出しておきなさいよぉ」
一言残して、風呂場に向かって行った。
それで俺は現在、洗面所の外で待機してるという訳だ。
中から衣擦れの音が止み、風呂のドアの軋む音がした。
「銀様。いい?」
いいわよぉ。
洗面台の収納ボックスから、バスタオルを入れたカゴをだして、丁寧に畳まれた銀様のドレスの隣に置いておく。
---
不透明なプラスチック扉の向こうから、はぁ〜…。と気の抜けた息が聞こえる。
湯船で、ばしゃばしゃしたりするかと思っていた俺にはちょっとした驚きだった。
「ねぇ、シャンプーって何処にあるのぉ?」
「え・・・っと、シャワーに向かって、すぐ右側に、あるよ」
「なんでちょっと詰まりながら言ってるのよぉ。…覗いたら、痛い。と云う言葉の意味を教えてあげるわよぉ?」
「覗かないよ!」慌てて否定する。
しかし、男としてちょっと期待していただけに、動揺も隠せなかったが…。
そんな俺の様子に、銀様の小さく笑う声がこだまする。
「っていうか、人間用のシャンプーだけど、使っても大丈夫なのか?」
照れ隠しの質問に、
「おバカさん。ドールだけど、人間用でも問題無いのよぉ」
てっきりドール用が必要かと思ってたが、意外だった。
「それじゃあ、出ていくけど何かあったら呼んでくれ」
えー。と不満の声が僅かな水音と一緒に、俺を呼び留める。
「何か面白い話をして頂戴」
「い、いや。何故か妙に恥ずかしいから出て行くよ!」
浴槽で何やら言っている銀様を、後ろ手にドアを閉めて遮断する。
「貴方の言った通り、なかなかいいものね」
暇潰しに、テレビでも見ようかと思い始めた頃。
その必要はなく、銀様が戻ってきた。
長過ぎるバスタオル片手に、畳んだドレスを持ってのほほんとした表情である。
それよりも、スリップドレスというので合ってるのだろうか。
ワンピースのような薄めの服だが、それよりも丈が短い。
それ故、その端から普段見えないような、銀様の白い太股の見える。
「そんなにジロジロ見ないでくれる?一応下着だし、ちょっと恥ずかしいわぁ」
あまり恥じらいの色を含まない声音の銀様に、
「ご、めん」
口早に謝って、そそくさと風呂場に向かう。
冷静になって考えると、そんな恥ずかしいような格好で出てくるほうが悪いんじゃないか。
慌てて謝った自分に苦笑した。
---
「で、なんで銀様がここに居るワケでしょうか?」
湿った頭をタオルでわしゃわしゃ拭きながら、俺のベッドを我が物といわんばかりに占領している銀様を見た。
「一人だと寒いから、今日からお邪魔することにしたわぁ」
「うん、…別にいいけどさ…」
「反応薄いわねぇ。もっと喜んだり恥ずかしそうになさいよ」
言いながらも、銀様が奥につめて俺のスペースを空けてくれた。
早速そこにお邪魔する。
「銀様。ちょっと早いけどもう寝よっか」
銀様が布団の中に潜った。
電気を消して俺も同じように潜って、目を閉じた。
「やっぱり二人はちょっと狭いね」
「これくらいが丁度いいわぁ」
「いや、銀様は仰向けで寝れるからいいけど…」
「文句なら明日にでも受け付けるわぁ」
「…じゃあ、おやすみ銀様」
ベッドの外側に体を向け、銀様の温さを背中に感じる。
「おやすみなさぁい」
遅れて返事をした銀様に、再びおやすみと言ってから、意識が遠のくまで少しの間この状況を楽しんだ。
「…、おき…。起きて」肩をツンツン突つかれ目を醒ます。
「なに、…ぎん、様?」暗い部屋の中で、ホッ。と安堵したような銀様の顔がすぐそこにあった。
「銀様どうかした?」
大分覚醒した俺に、
「眠れないの…」
「ああ、そう。おやすみ銀様」
再度布団に潜る俺を、銀様も潜って、
「なにか面白い話をして頂戴」俺の眠りを阻止する。
「そんなの…無いよ…」
「つまんないわぁ」背後で溜息一つ、そんなくぐもった声に、
「目を閉じて、ちょっとしたら。すぐ、眠れるよ。…俺が、いい例。…だから」
すごく眠い。今なら二分以内に夢の世界へ行ける自信がある。
ただ俺の背中を叩いて、引き留める銀様が居なければの話だが。
---
俺をポカポカ叩く手が止まる。
「ねぇ、…だっこ、してくれたら…眠れる気がするわぁ」
「なに?…銀様も、人肌恋しくなったとか?」
変に覚醒した俺が、向き直ると、コチラに背中を向けた銀様。
「そうかもしれないわぁ…」
まぁ、これで眠らせてくれるならお安い御用というものだ。
驚くほど小さく感じる銀様の体を引き寄せ、腰に手をまわす。
普段の俺なら、赤面して断っただろうが、なにせ変なテンションだ。難なくこなした。
「ヘンなトコ触ったら怒るわよ」
「それくらい、心得ております」
銀様の髪から、香り慣れたシャンプーのいい匂いと、ツヤツヤした髪の質感が伝わる。
例えるなら、太陽の香りを大いに吸収したバスタオルに、
ひなたぼっこしながら顔を埋めてるような。
そんな心地よさ。
「顔を近付けすぎよぉ。首がくすぐったいわぁ」
銀様がモジモジ身を捩る。
「おっと、悪かった」
散々俺を起こしといて、銀様は現在、さも気持ち良さそうに、調ったリズムで胸を起伏させる。
鼻でも摘んで起こしてやろうか。
実行すべく、腕を動かそうと思った。
銀様の手がそれぞれ俺の手首を軽く掴んでいることに気付いた、
ただそれだけなのに、なんだかとても嬉しく思えた。
この復讐は、また今度にすることにしておく。
覚えてたらの話だが。
---
いつもより一時間程多く寝た。
日曜日だからと、銀様と少しだけ夜更かししていたのだ。
そのせいか、妙に視界がぼんやりする。
昨夜も銀様と一緒だった訳だが、隣を見ても銀様の姿はない。
もう起きたようだ。
ベッドから立ち上がると、どっと、肩から疲労感が身体中に廻る。
重い体を引きずるように、そのままの格好で居間へ向かう。
「最近一緒に寝てるから、寝返りがうてなくて身体中が痛いよ銀様」
ドアを開けながら、挨拶代わりに一息で言った。
すると、椅子に座って背中を見せている銀様が、ビクリと跳ね上がり、
「この家来ったら、…な、なにを寝惚けているのか、かしらぁ?」
首をギクシャクさせて、俺を睨んでから正面に向き直って、ひきつった優雅な笑いを上げた。
霞んだ視界がはっきりしてくる。
「あ…真紅、さん。おはようございます」
銀様の不穏な笑顔の先に、疑問の表情をしている真紅さんに挨拶する。
ついでに、着替えとくべきだった。今更ながらの後悔もしておく。
「真紅。でいいと前に言ったのだけれど。貴方の呼びたいように呼べばいいわ。」
と言ってから、おはよう。
笑いかけられると、一瞬で目が覚めそうな、そんな爽やかな笑顔だった。
---
「あの!ちょっと着替えてきます!」
語尾をその場に残し、自室にダッシュする。
着替終わるまで一分とかからなかった。
居間に戻ると、何故かうつ向き加減の銀様と、
「早かったわね」真紅さんが驚いた顔で出迎える。
「ところで真紅。聞いたですか?」
聞き慣れない声が、右の方、
ソファの身を乗り出して真紅に問いかける。
緑色のドレスに、特徴的な髪。
すぐに、前に銀様に簀巻きにされていた子だと分かった。
「さっきそこの人間が言ってたですが、本当なんですか?水銀燈」
口調こそ穏やかだが。意地悪そうにニタニタと笑うその顔は、えぐる様な悪意さえ窺える。
「さ、さぁ。何の事かしら。私にはなぁーんにも、聞こえなかったわよぉ?」
銀様がいれて、出してくれたのだろうか。
真紅は手元のお茶を静かに飲んだ。
「しらばっくれても無駄ですよ。人間に聞いたら一発ですよ」
そこの人間!
突然呼ばれて、「は、はい!」返事する。
緑のドレスを翻す勢いで、確か、翠なんとかさんが俺を指差す。
「一体何と寝てたですか」
その両目が俺を捉えた。
片方が、赤で。そしてもう片方が緑色。
眉を寄せ、困ったような顔で、首を傾げて尋ねてくる。
所謂オッド・アイというのだろうか。見るのは初めてだった。
「何と。って訊かれても、銀さ…!!?」
銀様がプルプル震え始めた理由が解った。
思い切り口を噤んだのだが、
「ふっふっふ。マヌケにも程があるです」
俺が口走った途端、物憂げな顔の裏に隠された邪悪なオーラが見え始めた。
---
「あの水銀燈も丸くなったものですねー」
カチンときたのか銀様は、
「ねえ翠星石、ちょっと表に出なさい。貴女にぴったりの、丸刈りジャンクにしてあげるわ」
今にでも、跳び掛らんばかりの殺意が籠もった声。
しかも、俺をチラリと睨んだ辺り、翠星石だけに言った訳ではないらしい。
俺がごめんなさい。と銀様に心の中で謝罪している眼前で、
「今の水銀燈に言われても、なーんにも怖くないです」
すまし顔の翠星石がおどけて言った。
「あらぁ?泣き虫のキーキー煩いおバカさんが何か言ってるわねぇ」
頼りの人間がいないと何も出来ないくせに、微笑ましいわぁ。
「そう言う水銀燈こそ、こんな人間と寝てるなんて不潔です!お前だけには言われたかねーです!!」
両者が睨みを効かせる中で、
「お茶のおかわりを貰いたいのだけど」
凛として動じない真紅さんが、空いたカップを見せる。
この空気から逃げるため、「あ、はい!いれてきます!すぐにいれますっ!」
即刻名乗りだしてカップを受け取った。
---
「ところで銀様って昔はどんな感じだったんですか?」
真紅さんへ紅茶を渡すときに、聞いてみた。
「そうね、もっと狂暴ですぐに怒っていたのだわ」
真紅さんは、紅茶を一口飲んで、まだ膠着状態が続いている二人を見た。そして、
「野獣みたいに目を尖らせて、ギラギラしてたわ。今の水銀燈からは想像できないけれど」
「真紅ぅ。適当なことを言わないで貰えるかしら」
何か言っている翠星石を無視して、銀様がコチラの話に入ってきた。
「私は昔から大人しいし、淑女だったわよ」
「あら、そうだったかしら?そんなに鼻息を荒くしながら言わなくても、ちゃんと聞こえてるわよ」
「荒くしてないわよ!!」
また、別の火花が散った気配がした。
喧嘩が始まると思ったのだが、銀様は第三の選択をした。
そっぽを向いて、再び翠星石を睨んで、立ち上がってソファに向かって…。
翠星石に飛びかかった!
「姉に対してちょっとは敬意をはらいなさい!この、おバカさん!」
遂にシビレをきらした銀様が、翠星石を押し倒して、脇をくすぐったりしている。
「ぼ、暴力は、だ、ダメですっ!」
ジタバタ暴れて抵抗を見せるが、残念ながら銀様が完全にホールドしている。
「真紅!たっ、助けるです!っあ…!水銀燈っ、だ、ダメです、そこはっ!」
一応仲裁に入ろうとする俺を、真紅さんが止める。
「翠星石、貴女から売った喧嘩よ。独りでなんとかなさい」
そんな死刑宣告を、何気なく楽しそうに宣言し、紅茶を飲んだ。
「う、裏切りやがるですかー!ひど、いです、よ!」
息も切れ切れに絞りだした言葉は、
「よかったわねぇ翠星石ぃ!この際だから、お姉様が礼儀というやつをその躰に教えてあげるわぁ!!」
銀様という捕食者の歓喜の雄叫びの前に、掻き消された。
---
「賑やかね」
ゆったりと、微妙に騒動の要因の一つである真紅さんが、紅茶を飲みながら言う台詞じゃないと思った。
あっちはというと、ここをもっと弄って欲しいのぉ?とか、た、助けやがれです人間!とか、なにやら五月蠅い域に入りかけである。
しばらくして。
ソファからの、ぐったりと乱れた呼吸を環境音に、銀様が爽やかな顔で椅子に着いた。
「ところで真紅。今日は何の用?」
「そうだったのだわ」
忘れていたらしく、真紅さんは翠星石を呼んだ。
二度目の呼び掛けで、翠星石は、やつれた表情を覗かせる。
そして俺の前に来るなり、綺麗にラッピングされた小袋をつき出す。
「これくれるの?ありがとう」
「感謝はいらねーです」
俺にそれを手渡すと、そっぽを向いて、
「私が作ったスコーンですけど、お前のタメに作ったわけじゃないです。余った分ですよ」
と続けた。
「スコーン作ったの?すごいね、どうもありがとう!」
お礼を言うと、益々あっちを向いてしまう。
もの凄い話し辛い…。
そんな中、真紅さんが椅子から降りた。
「それじゃあそろそろ帰るわね。…こんなに長居するつもりはなかったのだけれど」
朝から騒がしくして悪かったわ。
真紅さんらしく、それだけ言って、何時ものようにテレビへと飛び込む。
後を追って、慌てた様子の翠星石は、一度立ち止まり振り返って俺と銀様に視線をやって、
「水銀燈、今までこうやって言い合う事も無かったですから、…今日は楽しかったですよ」
ニコリ。小さく微笑んだ。
「はいはいよかったわね。さっさと帰りなさぁい」
照れ隠しなのか、銀様は溜め息混じりに返事する。
ちょっとムスっとした翠星石は、
「そんなに怒ってばかりいたら、顔のコジワが目立つですよ」
その一言を呟いて帰っていった。
唖然とする俺の横で、銀様がメイメイに、「あの子の髪の毛をぐちゃくちゃにしてきなさぁい」と呟き、解き放っていた。
「あの、なんと言うか…凄いね…」
メイメイが勢いよく、ターゲットを追尾するのを確認した銀様が、
「変な子でしょう?」
呆れたように笑ってみせた。
「変と云うか結構キョーレツな…」
「私の妹達なんてあんなのばっかりよ。姉として疲れちゃうわぁ」
銀様は俺の手から、ヒョイとビニール袋を奪って、椅子に座って開封する。
---
中にはきつね色をした、スコーンが二つ入っていた。
そのスコーンを銀様が椅子の上に立って、俺の鼻先に突きつける。
「早く食べなさいよぉ」
銀様に急かされて、受け取ろうとすると、銀様がスコーンを引っ込めて、
「何のために私が持っているのか分かってる?」
芳ばしく焼けたスコーンの先に、銀様の微笑み。
つまるところ、どうも銀様が食べさせてくれるらしい。
が、
「いくら二人だけだからって、こういうのは慣れないよ」
「だからそれが面白くてやってるんだけど?」
「趣味悪いよ銀様」
「いいからさっさと食べるの」
スコーンって、バターやらジャムをつけて食べるんじゃなかったっけ。
そんなことが過ぎったが、押しつけられてはかなわない。
一齧りする。
「どう?」
「…焼き加減といい味といい、良い感じだよ」
「本当に?口の中とかヒリヒリしたりしない?」
「ん?…何を言いたいのかよく分からないけど……普通だよ」
「なら良かったわぁ」
銀様はそのスコーンを俺に私、なんともない顔で椅子に座りなおした。
「私は、メイプルシロップとコーヒーで食べたいからさっさと用意してくれないかしら?」
「あれ!?急に態度が…。って言うか、食べさせてくれるんじゃ……?」
「何言ってるの。毒味させたに決まってるじゃない。それともホントに食べさせて欲しかったのぉ?」
「いや!いいよ別に!そんなの全然思ってないから」
俺の心臓の耐久度的に無理なので慌てて断った。
…惜しくなんかないからねっ!?
「しかし、貴方が余計なことを言うから、あのバカな妹に誤解されちゃったわぁ。どうやって責任とって貰おうかしら?」
カップを渡すと、「ありがとう」のお礼代わりに、返しどころに困る発言で出迎えてくれた。
「今日の夕食に力いれるから、許してください。…許せ」
「で、何を作るつもり?」
「カレー」
中に入る肉がいつもより僅かに高級なんだ!
俺の必死の弁解は銀様の、却下。の一言で打ち消された。
「もういいわぁ。今日一日、私の足置きになるだけで赦してあげるから」
スコーンを平らげた銀様がコーヒーをちびちび飲み始める。
対して、俺は全く手が進まない。それより喉を通らなくなってきた。
「あの…既に足どころか尻に敷かれてる感じがしないでも無いのですが…」
「そんなに迷惑と思ってるの?」
イキナリしおらしく言われて、ドギマギする俺は、銀様に遊ばれているのだろうか。
俺を見て、銀様は微笑んだ。
「仕様が無いから、そこそこ忠実な貴方に免じて赦してあげるわぁ」
「ありがとう銀様!」
「ただし、美味しいケーキを買ってくればの話よぉ?」
この後、俺は朝からケーキ屋まで走らされた挙げ句、買って帰ってきた俺を出迎えたのが、
銀様の「今はいらないわぁ」の一言。
そして、そのケーキは夕食が終わるまで冷蔵庫に保管される事になった。
---
「やたらクリスマス一色ねぇ」
テレビのCMを、銀様はボーっと眺めて呟いた。
サンタが雪車に乗って、あの特徴的な笑い声をあげているのが画面に映っていた。
今日は寒くないので、俺はコタツに足を入れているものの、電源は点けないでいる。
銀様に至っては、俺の後ろでソファに座りつつ、時折、足で背中をつついてきたり…。
「そういえば昔は親に、おもちゃを買って貰ってたなぁ。本当にサンタさんが持って来てくれたと思ってたけどね」
「たいていそんなもんよ。それにしても…キリスト教でもないのに祝ってるなんて変な話ねぇ」
「きっと祭り事が好きなんだよ。そんなことより、この時期は許せないことが一つだけあるんだ…」
俺は後ろに半身を傾けて、天井を仰ぐ。
視界の上の方に、疑問符を浮かべる銀様の顔。
「一体、何処から出てきたのか分からないほど、カップルが多いのが非常に気にくわない。妬みとかじゃなくて、雰囲気的に」
なんの色気を感じさせないスーパーの特売コーナーでさえ、それの姿を拝めてしまいそうな。
…意識のしすぎかもしれない。
「…それ、思いっきり妬んでるじゃないのぉ」
呆れ口調の銀様。
「貴方にもそのうちにきっといい彼女ができるわよ。私みたいな人形じゃなくてね」
自虐的に呟いたその言葉は、寂しそうな色を俺に見せた。
「俺は銀様がいいんだけど」
俺は真っ直ぐに銀様を見てる。
自分でも驚くほど素直な一言が溢れた。
しかし、銀様はすぐに目を逸らし、テレビに向かって、
「ほんっとにバカね。貴方は…」
呟いたきり、無言になる。
「折角のクリスマスなんだし、何か欲しいものあるなら言ってよ。友達のサンタに頼んでおくからさ」
ただし、サンタの世界でも財政難みたいだから、あまり高すぎるのは駄目みたいだけど。
そう付け加えて説明すると、銀様がたっぷり五秒程笑った後、
「くっだらないわぁ」
笑って、目に溜った涙を指で拭って、
「それってサンタからプレゼント貰う代わりに、貴方に何かしてもらってもいいのよねぇ?」
「う、ん。いいけどそ、それって…例えばどんなこ、事かな?」
「クリスマスにすることなんて決まってるじゃなぁい」
トロンとした目で、赤みがかった顔の銀様が、俺の視界にアップで映る。
俺は、生唾を飲み込んだ。
銀様の唇が次なる言葉を紡ぐ。
「私がクリスマスキャンドルを持って、貴方に蝋を垂らしたりとか、してもいいかしら?」
「ちょっと待って!絶対熱いからそれは…嫌だよ!絶対にっ!」
「そこまで嫌がらなくてもいいじゃない。冗談に決まってるでしょう」
ケラケラ笑う銀様だったが、目が本気だったのが怖かった。
---
「あの…やっぱり先程の話は、無しの方針で……」
さっきのは冗談でも、一体クリスマスに何をやらされるのか。
怖くなった俺は、前言撤回を申し出る。
「男なら、ころころ発言を変えちゃダメよぉ」
何して欲しいかは、それまでに決めておくわぁ。
上品に銀様が俺に笑いかけた。
あぁ、なんかもうお腹がキリキリ痛くなってきた。
「殴らせて。とか、痛い系は駄目だからね」
「裏返しで、して欲しいって言ってない?」
「これっきしも言ってません。断じて」
「分かってるわよぉ。そんなにムキにならないの」
何をしてもらおうかしらねぇ…。
愉しそうに呟く銀様は、相変わらずその顔に触れたくなってくる。
眉を寄せて悩んでいる顔も、mとても――
「――可愛いよ、銀様」
つい口から出てしまった言葉。
一瞬時間が止またように銀様が固まった。
それから、
「あ、当たり前じゃない。一体何を言っているのかしらこのお馬鹿さんは…」
動揺を表に出した銀様だが、すぐに呆れた顔をつくって見せた。
俺がじぃーっと、顔を眺めていると目線を逸らす。
「私はテレビ見てるから、貴方は少し眠ってなさぁい」
照れた表情を見せまいとしたのか、俺の目を、瞼の上から指先で撫でてくれた。
「全然眠くないんだけど」
「無理矢理眠らされたくなければ寝なさぁい」
「貴方って滅多にあんなコト言ってくれないから、照れちゃうじゃないのぉ」
どうやら俺が眠ったと思い込んでいたらしい。
銀様が独り言を洩らした。
「何?もっと言って欲しいの?」
このまま聞いているのも気が引ける。
早速、返事をしたのだが…。
「きゃああ!ね、寝なさぁい!!」
甲高い悲鳴の後、
ズン!!
物凄い衝撃が俺の首ねっこから、頭へと駆け上がる。
一瞬の浮遊感と同時に、意識が堕ち……。
おまけ
「…ん。あ、ぁ。なんだか、眠っちゃってたよ…。ってなんでそんな、ホッとした顔してるのさ?」
銀様は胸を撫で下ろし、脱力したと思いきや、今度はそわそわし始めた。
「別に、何もないわよぉ…?」
「…そう、なんだ。あ、膝枕しててくれてたんだ。ありがと」
いつの間にか、俺は銀様の膝をかりてたようだ。
眠っちゃったのが勿体ないな。そう思えた。
体を起こそうとすると、首や頭に僅かな鈍痛。
中途半端に寝たからかな?
違和感をおぼえながらも、
「銀様、さっきから様子が変だけど大丈夫かい?」
「え?ええ!全然平気よぉ!」銀様は、上ずった声で返事する。
ならいいけど…。
---
「メリークリスマス銀様!」
「はいはいあんまり煩くしないの」
すました顔で、サラリと流した銀様である。
「そんなこと言っちゃって…本当はワクワクしてるんじゃない?」
図星だったのか、それともそう思われるのが嫌だったのか、
「そんな訳ないでしょう!たかがクリスマスで浮かれるなんて…子供じゃないんだから」
プイっとあっちを向いてしまう。
しかし、すぐにドレスの裾をフワリと舞わせて、
「前にした約束、ちゃんと守って貰うわよぉ?」
銀様は笑顔で振り返った。
「既に、凄く浮かれてませんか?銀様…」
…お腹痛くなってきた。
ここ二週間、なるべく話題に出さないようにして、その約束を忘れさせようと狙っていたが、失敗だ。
「じゃあ早速だけど、貴方にして貰うのは…」
銀様がここで言葉を区切る。
俺はドキドキと大きく聴こえる己の心音をBGMに、次の一言を待つ。
「実はまだ決めてないのよねぇ…」
銀様は、何をして貰おうかしらぁ。と呟きながら、テレビの真正面にあたるコタツに、いつもの特等席に着いた。
「なるべく早く決めてくれないかな。すごく緊張するから」
「ねぇ、これって言う事きいてくれるのは一つだけなのよねぇ?」
人指し指を立ててジェスチャー混じりに尋ねてくる。
「うん…そうだけど。あまりに無茶なのは無理だけどね」
俺は、力なく一度笑ってからコタツに入った。
「足を揉んでもら…いや、面白みに欠けるわねぇ」
いつになく真剣な面持ちの銀様が、うーん。と唸りながら考え込む。
「そうだわ」遂に閃いたらしく、顔を上げた銀様が告げる。
「貴方には今日一日私の椅子になって貰うわぁ」
一日中はちょっとキツいかもしれないが、男に二言はない!
腹を括った俺は、銀様に言われるや、すぐに立ち上がって椅子になってみた。
両膝を床につけて、銀様が座れるように腰を低くしておき、両手も同じ様にした。
さぁ!銀様、座っ――
「嫌よ。この部屋ちょっと肌寒いじゃない。コタツから出たくないわぁ」
耳にかかった髪を右手で払いながら、ツンとした様子で言った。
「それに、そんなやる気満々でされても面白くないわぁ」
銀様の率直すぎる感想に、ちょっと涙が出そうになった。
「一人で張りきっちゃってバカじゃないの」
そう呟いて銀様はそっと立ち上がった。
「ほらこっち来なさい」
呆気にとられている俺を、手招きする。
「さっさとここに座りなさい。お馬鹿さん」
「え?でもここは…」
銀様の特等席だ。
コタツを出した当初、ここに座っていて銀様に蹴り出された事があった。
遠慮する俺を、銀様がぐいぐい袖を引っ張って座らせた。
---
「やっと座ったわね」
頭上から声がかかったと思いきや、遠慮なしに銀様が俺の膝の上に座った。
突然の衝撃に面食らって目を白黒させる俺を、スッポリと腕の中に収まった銀様が俺の胸に背中を預け、見上げた。
「座られ心地はどうかしら?椅子さん」
銀様は、すぅっと目を細めて俺の様子を楽しそうに見つめた。
「び、ビックリした!何事かと思ったよ」
何とか落ち着きを取り戻して、俺も銀様に尋ねる。
「恥ずかしいな…す、座り心地はどう、かな?」
そんな切れ切れな問いかけに、銀様は何も言わず正面を向いて、その体同様に頭も俺に預けてきた。
しばらくして、
「とてもあたたかいわぁ」ポツリと一言溢した。
---
おまけ
「ねぇ、椅子さん。どうして貴方はこんなにどきどきしてるのかしら?」
「あれ?そうかな、気のせいだよ」
平常心を装いながら、なんでもないような声をだした。
「そう言う銀様こそ、顔赤くないかい?」
「あ、貴方からはそんなの見えないでしょ!?」
「ほら、こうすれば…」
銀様のほっぺたに、両手を添える。
「ちょっとだけ熱いかな?」
銀様がすぐにその手を振り払って、
「止めなさい!コタツで熱って熱くなってるだけよ」
貴方は椅子なんだから、私に大人しく座られてればいいのよ!
俺の足をバシバシ叩いて抗議してくる。
ごめんごめん。そう謝ると、
「分かればいいのよ、分かれば」
ようやくその手を止めてくれた。
無言でじっとしている銀様の肩に、俺は手をまわして抱きしめた。
これにはさすがに動揺を隠せない銀様。
髪の間から僅かに見える耳が赤くなっていた。
「これは俺の我儘なんだけど…抱きしめていいかな?」
「そ、そんなの、する前に尋ねなさいよ。ビックリしちゃうじゃないの」
「お返しだよ銀様」
「言っておくけど変なトコ触ったら血袋にするわよ?」
「こ、心得ています」
「クリスマスだから血は見たくないもの。特別に許してあげてるけど、明日から勝手にこんなことしたら…分かってるわね?」
気付くと俺は、コクリコクリ何度も必死に頷いていた。
「なら、いいわぁ」
俺の手に、そっとその手を添えた。
銀様の赤く上気したほっぺたみたいに、その手は暖かかった。
「メリークリスマス」
銀様が見上げて呟く。
俺は、その遅すぎる挨拶に少し微笑んで、同じく返した。
「別に浮かれて言ったわけじゃないわよ」
言っている内容とは裏腹に、ルンルン気分の御様子が丸見えだ。
「分かってるよ」
そんな大人ぶるところが可愛くて、ニヤケた顔をみられないように、俺はぎゅうっと銀様を抱きしめて返事した。
---