退屈そうにころころチャンネルを変えている銀様が、新聞の番組欄をチラリと見て、
「どれもスペシャル番組ばかりよぉ…」
ウンザリとでも言うように、溜息とともに吐いた。
「まあ、朝からずっと見てたからね…そりゃ疲れるよ」
今日は、お昼過ぎ頃から夕方六時くらいまで、ついつい忘れていた大掃除をした。
それには銀様も少し手伝ってくれて捗ったのだが、今度は夕飯の用意が大いに遅れてしまい、夕食が八時を大幅に過ぎてしまった。
「それにしても、夕飯遅すぎるわぁ」
「銀様がどうしてもステーキが食べたいって言ったからだよ」
それを買いに行ったスーパーは、やはり思ったとおり客が殺到していて、レジに並ぶだけでも一苦労だった。
その代わり、売れ残りのおせちが買えたからよかったけども。
「今日のステーキは美味しかったわぁ。でも、レアで。ってお願いしたのに、火をいれ過ぎたんじゃないのぉ」
「いやいや思い出して!料理の最中に、暇だわぁ。って無理矢理トランプさせた人の事を!」
「そ、それにしても喉渇いちゃったわぁ…。飲み物貰うわよ」
分の悪い話題だと判断した銀様は、一瞬で会話を切って冷蔵庫にそそくさと向かった。
逃げやがった…。
と思ったら、
「ちょっとちょっと、こんなにいい物あるんじゃないのぉ」
銀様が鮮やかな色合いの缶を持って戻ってきた。
「年越しだしちょっとアルコール分欲しいなって思ってね」
「買ったからね。って、ちゃんと教えなさいよぉ」
チューハイ(ピーチ味)を早速空けながら、俺の足を蹴飛ばすようにコタツに入った。
「ちょっと待って!今飲んだら絶対年を越すまでに寝ちゃうよ!」
俺の忠告もなんのその。コクコク喉を鳴らして、勢いよく銀様は飲む。
「うーん。やっぱりすごく美味しいわぁ!」
「だからジュースみたいに飲んじゃ駄目だよ!すぐに酔うよ」
一口、また一口と銀様は飲んで、
「こんなので私が酔う訳ないでしょ。ただのジュースと変わらないわよ」
そう言って、ようやく銀様は缶を置いた。
金属質な、やたら軽い音が響いた。
「銀様…もしかして、もう飲んじゃった?」
「確かまだ三本くらい残ってたわよねぇ」
次のを取りに銀様が立ち上がろうとする。
口をパクパクさせて、唖然としている俺を見て、銀様は微笑んだ。
「心配しなくていいわよぉ。貴方の分を取って来てあげようと思っただけよ」
「あ、そ、そうなんだ。ありがとう銀様」
銀様がトコトコ冷蔵庫へ向かった。
付けっ放しのテレビでは、なにやらよく分からない企画が行われている。
時計は、まだ十時ぐらいを差していた。
「はぁい。お待たせー」
目の前に差し出された缶を、お礼を言って受け取った。ライム味だった。
「それじゃあ、乾杯するわよぉ」
俺は慌てて缶を掲げる。
「かんぱぁい」
「か、乾杯」
コツンと合わせて、俺は缶の蓋を開けた。
「銀様それ二本目じゃないかい!?」
「なによぉ、ただのレモン味よ」
「味は訊いてないから…」
---
「夜遅くに失礼するわ」
コタツを挟んで向かいに静かに着地したのは、突然のお客さんだ。
「あ、真、紅さ、ん。今、晩は」
銀様に首根っこを掴まれて揺さぶられながらも、切れ切れに挨拶する。
いい感じに酔った銀様が、よく分からない理由でカラんできて…まあ、いいや。
激しく上下する視界の中の真紅さんは、こんな深夜に申し訳ないわ。と小さくお辞儀をした。
「早速だけど、水銀燈、話が……あるのだけど」
いつもの真紅さんらしくない、躊躇いのような、そんなのが声に滲んでいた。
銀様は、俺の首をパッと放して、とろんとした目で真紅さんを捉える。
照れたように、真紅さんは目線を逸らして、コホンと小さく咳払い一つ。
「す、水銀燈?決して私の本心ではないのだけど、私のミーディアムが煩く、今年の内に言った方がいい。って言うものだから、言うわ・・・・・・」
真紅さんは再びわざとらしく咳払いした。
「来年も、いえ、これからも…今みたいに仲良くしてくれるかしら?」
「なに言ってるのよしんくぅ。これからもずぅっとずーっと仲良しよぉー」
銀様は、ゆっくり喋りながら真紅さんに向かって歩く。
いつもと全く違う様子の銀様に、一瞬戸惑った表情を浮かべたが、すぐに嬉しそうな微笑みを見せる。
真紅さんのすぐ前まで来た銀様が、突然ガクンと力なく膝を着いてしまう。
「だ、大丈夫!?」
真紅さんは心配そうに近付きしゃがんで、顔を覗き込もうとした時だった。
銀様が真紅さんに抱きついた!
バランスを崩した真紅さんは、驚いて短い悲鳴を残し、後方へ倒れた。
「水、銀燈…なにす、るの!」
「ウフフ…しんくったら、何をあわてているのかしらぁ?」
銀様が真紅さんの両手を押さえて上になっている。
抵抗する真紅さんだったが、ジタバタしたとしても銀様が体を密着させて、あまり動けないようだった。
「しんくぅ…こうやってみると、あなたとてもかわいいわねぇ」
銀様の頭が下がっていき、真紅さんの耳元で、
「食べちゃいたいわぁ」
と囁いた。
ボッ。と音が聴こえる程、真っ赤な顔になった真紅さんを初めて見た。
銀様の髪が真紅さんの頬を伝う。
お互い無言のまま、見つめ合う。
そろそろ止めないとイケナイような雰囲気になってきた。
どうしようかオロオロしていると、剥き出しになっている銀様の太股を見てしまった。
ドレスが捲れてかなり際どい感じになっている。
ふと視線をスライドさせると、真紅さんも同様に、倒れた時のまま、右足だけ立てていて、そのドレスの端が銀様のせいで少し捲れていた。
「ホントにたべてしまおうかしらぁ」
獲物をガッチリと掴んで食べるカマキリを連想されるみたいに。
銀様の二本の白い太股が、真紅さんの右太股をしっかり挟んで、動けないようにホールドした。
絡み合った二人の太股が、その瑞々しい柔らかさを視覚で伝えてくる。
絶景の太股天国がそこにあった。
---
俺は生唾を呑み込み、自然と早くなる鼓動を抑えながらマジマジと見…ている場合じゃない!!
駆け寄って、銀様を引き剥がす。
「遅すぎるのだわ!!」
真っ赤にした顔で、着崩れたドレスを直した真紅さんの第一声がそれだ。
…すみません。
「これからしんくと遊ぶところだったのにぃ…」
残念そうに、担ぎ上げられた銀様の声。
それはどんな遊びなのやら…。
「銀様が思いっきり酔っちゃってさ、本当にごめんなさい真紅さん」
右肩に銀様を担いだまま、真紅さんに頭を下ろす。
「貴方が謝る必要はないわ…次会った時に、その子に謝らせるから大丈夫よ」
全く、決心して言ったのに無駄になっちゃったのだわ。
頬を膨らませて怒ったような素振りをする。
ふっと、溜息をついて、
「もうお暇するのだわ」
ホーリエを呼びつけて、いつものように消える――前に、銀様がぐったりしているのを見、
「いつか、その子がいない時にでも、お茶でも飲みにくるわ」
よいお年を。
そういい残して、遂にその姿が消えた。
遅れて俺も言う。
「よいお年を」
俺の右肩で、だらんと手足を重力に従い伸ばしている銀様の重さを感じながら。
---
おまけ
「はい、銀様、コタツに入って…」
完全に酔っている銀様をコタツに入れてやり、一緒にテレビでも見て来年まで待つことにした。
テレビでカウントダウンが始まった。
10…9…8…7………………3、2、1
「銀様!新年明けましておめでとうございます!今年もよろしくお願いします」
「くー……くー……んむっ……くー」
うおおおおいい!寝ちゃってるよ銀様!!息が一瞬詰ってたけれど!
「銀様、起きて!一緒に年越しソバを食べようよ」
お酒の力を手にした銀様は強かった。
泥沼の底の底。そんなところに意識が落ちているらしく、何を言っても起きない。
終には俺が銀様を揺すって起こそうとすると、裏拳が飛んできた。
本人は寝たまま、全くの反射である。
「うぅ…銀様寂しいよ。俺、なんだか一人で正月を迎えてるみたいで…」
涙を誘ってみようとしても、返ってくるのは安らかな寝息。
こうして、銀様と一緒なのに、何故か寂しい正月を迎えたのであった。
---
「痛い!痛いから止めて。せめて力をいれないで、もっと軽めに…」
隣に座る銀様が、やたらと力を込めて膝を叩いてくるのに、俺は遂に音を上げた。
「あら、軽めに叩いて欲しいなんて…貴方いつの間にそんな変態になったのかしら」
言うことを聞いてそうもなかったので、振り降ろされる銀様のグーを受け止めた。
すると銀様は、何事もなかったかのように、もう片手で叩いてきた。
「って、なんで俺は叩かれてるのか!」
「今やってるCMへの怨みよぉ。折角、折角、セガールアクションが見れると思ったら、なによこのブツ切り編集は!」
だいたい区切る場所がおかしすぎるわぁ!普通、一段落着いたところになんたらかんたら・・・。
CMが終わるまで、銀様の愚痴を聞く羽目になった。
確に酷いと思うけども…。八つ当たりしないでいただきたい。
劇中ではなにやらシリアスな空気が漂う。
人質交換が行われるそうだ。
銀様も息をのんで静かに見入る。
嵐の前の静けさのような、そんなムードの中、武装した囚人達とテロリスト達が対峙した。
と思ったら、ここでCM!
素晴らしい!怒涛のCMラッシュだ。
「本当にごめんなさい、でも貴方を叩かないと気が済まないの」
いくら、謝られたってそんな適当な理由で叩かれるのはゴメンだ。
ビシビシとピンポイントで叩かれるのを防ぐべく、
「キャっ!な、なによぉ」
「銀様が意地悪ばかりするからだよ」
銀様をひょいと持ち上げて、膝の上に乗せた。
「もう叩いたりしないって約束したら戻してあげるけど、どうする?」
「…別に戻さなくてもいいわぁ」
「え!?ちょ、そこはちゃんと約束を」
「静かに!台詞が聞こえないじゃないの」
うろたえる俺を置き去りにして、銀様はいつの間にか始まった映画に、画面に集中する。
「あの銀様、やっぱり戻」
「しずかになさぁい!殴られたいの?」
「……はい」
いいように使われてるような…。
---
「ちょっとぉー…もう、起きたらぁ?」
「今日は日曜だし寝たいよ。銀様こそ、起きたらどう?」
銀様だってまだ寝てるくせにさぁ。
と呟く俺の横で銀様が、頭まで布団に潜り込む。
「ほらほら、早く向こうの部屋の暖房点けてきなさい」
「ちょっ、蹴らないで!後、布団を巻き取ろうとするの止めて!」
安らかな温もりを死守すべく、目下銀様に巻き取られてゆく布団の端をぐっと掴む。
が、
「さっ寒い!足が!首が寒いっ!!」
楽園が指の間からするりと抜け落ちてしまった。
非情な冷気が俺の身体中を舐める。
「んー。あったかぁいわぁ」
布団に包まれた銀様の満足そうな声。
少しでも奪還できないものかと手を伸ばすが、銀様がくるりと回って掴む事すら叶わない。
「あー!もういい!分かった。行ってくるよ」
スリッパがヒンヤリと俺を迎えてくれる。
「暖かくなったら呼んでちょうだいね」
「めちゃくちゃ寒いと思ったら雪が降ってるよ。そりゃ寒い訳だ」
「……」
ストーブが赤々と全力で働いている。
お陰で居間はぽかぽか暖かくなった。
曇った窓の先。外では、今年初めての小さな雪が静かに降っている。
微かな風に揺られて右に左にひらひら動く雪。
大人げないが、この雪を見ていてなんだか楽しくなってきた。積もったらいいな。
「あーでも地面に落ちたら溶けてるよ。ま、降ってるだけ珍しいけどね」
「………そろそろ本気で怒るわよ」
雪をせめてあと三分目で追っていたいが、銀様がそう言うので、五秒だけじっと見つめて振り返る。
「はてさて、どのように怒るのかしらん?」
振り返った先、ソファの上でくねくね動く、布団ロールに包まれた銀様に問い掛けた。
---
その時だった。
あまりにジタバタ動いたものだから、布団ロールもとい銀様がソファから落ちそうになる。
ぐらり傾いた瞬間、俺は直ぐに駆け寄って両手を伸ばし、なんとか止めた。
出来ることならあと一時間銀様には頑張って貰いたいが、
「頭から落ちたら危ないからね。今度は受け止めれる自信ないし」
ハサミで紐を切って拘束を解いてやる。
布団ロールからもぞもぞ脱出した銀様は、一息吐く前に拳を振り上げ、ポカっと軽く叩いてきた。
「助けてくれた分を差し引いた罰よ。こんなに寛大な私に感謝なさぁい」
「銀様の必死な顔が面白かったよ…と言うと蹴られそうなので、感謝してます銀様。と言っておこう」
「そう、そんなに蹴られたいのねぇ!ちょっと待ってなさぁいっ!」
俺を最高の蹴りで葬るため、準備運動に取り掛かった銀様の頭に手を伸ばす。
「邪魔しないでちょうだい」
「いや、髪がちょっと乱れてるからさ」
そう言って、俺は髪を指でなぞるように整える。
いつの間にか、蹴る気を無くしたらしい。
銀様はソファに立ったまま、
「ありがと」
一言呟いた。
心なし顔を赤らめた銀様を見る。
「な、なによ」
「随分と素直だな。って思って…」
「あいにく、貴方のようにひねくれていないわぁ」
「そうだね。その方が可愛いよ」
「あ、貴方…よくそんな、恥ずかしい事が言えるわね」
「銀様のあたふたする様が見れるのなら、なんでも言うよ」
笑って答えた俺に、いつまで頭撫でるのよ!と少し怒って手を振り払った。
---
おまけ
「ふーん…大した事ないわね」
銀様は外を見ながら、呟く。
俺に抱っこするように命じて、かれこれ10分ほど経つ。
「この辺じゃ降ってるだけで、結構珍しいよ。それよりそろそろ降りない?」
「やぁよぉ」
「右手が痺れてきたよ!結構重いしっ!」
「レディーの私に喧嘩売ってるわけ?」
「銀様の言うレディーってのはそうとう凶暴じゃないかい!?」
「なにが凶暴よ。どうみてもお淑やかじゃないの…この話は疲れたわぁ。…朝ごはんなに?」
「面倒だからつくらないよ」
「私も別にお腹減ってるわけじゃないし、いいわぁ。じゃあ昼は?」
「インスタントラーメン」
「……夜。夜は期待してもいいわよね?」
「…牛丼」
窓の外。ほんの僅かに、雪が路面に白い色を残してゆく。
雪景色になることが無いのに。それでも深々と降り続ける雪がとても綺麗だと思った。
そんな――口論5秒前。
---
銀様は真紅さんの所に、
「なにかお菓子貰ってくるわぁ」
とか言って冷やかしに行ったし、今は特にすることもない。
テレビでも観ようか、少し悩んでから新聞を開いて番組一覧を…面白そうなのが何もない。
代わりに小さな、安物と言えば安物のラジオを机に置いて適当な局を垂れ流しておく。
音量小さめに絞ったラジオは、こんな昼下がり向けの柔らかいイメージの音楽を部屋に漂わせる。
聴き慣れないこの曲は、インディーズ曲なのだろうか。
それにしても、ホンワリと落ち着いた曲調で、まだ少し先の春の陽射しを彷彿とさせるようないい曲だ。
ストーブも、今日のデタラメな冷え込みに対して大活躍で、ほの暖かい室温にしてくれた。
今なら一分で眠れる自信がある。
ちょっとだけ寝ようかな?
ソファに座って目を閉じた。それからゆっくりと体を横に倒…。
「ただいまぁ。たかがお菓子一つであんなに怒るなんて、あの子のバカにも磨きがかかったわね」
銀様は、不満をブツクサ洩らしながらテレビから出てくるや、ソファに向かってきて、
「邪魔よ、起きなさい」
と、率直且つ丁寧に一言。
次いで、横になったばかりの俺の頬を軽く叩いて退かして、場所を確保する。
右頬を擦りながら、
「おかえり・・・えらく早かったね銀様」
ラジオの電源を消して、銀様を迎えた。
---
戦利品であろう、ポッキーの箱を片手に持った銀様は、
「ラジオね…随分と小さくなったのねぇ」
置かれたラジオを眺め、ぽつりと呟いて、興味がなくなったのかポッキーの封を開け始めた。
カリカリカリカリカリッ
クッキーの部分を人指し指で押して、軽やかな音と共にどんどん口に入って行き・・・はい一本終了。
また次のを取り出してカリカリカジる。
なんだかリスみたいだ。
黙っていると、小動物系な可愛さなんだけどなぁ・・・。
また次の一本が、銀様の小さな唇の奥へと消えていった。
「そんな物欲しそうな目で見ないでよ」
銀様は取られまいと、ポッキーの箱をぎゅっと胸元に抱いた。
「あ…うん、いらないよ」
「でも、一本だけだったらあげるわ」
ソコまで私はケチじゃないわよぉ。
一言も、くれ。とは言ってないのに銀様は一本取り出している。
「別に何本もいらないけど…一本だけ。って言うのは、やっぱりケチなんじゃないかな」
そう言うと、銀様にポッキーで鼻をツンツン二回ほどつつかれた。
「一言多いわよ、一言」
鼻にちょっと付いたチョコを、親指で拭う。
---
「美味しいよ。ん…?銀、様?」
銀様の手が、体が小刻に震えていた。
その顔を覗き込むと、唇が真っ青で、
「ちょっ、銀様具合でも悪いの!?頭痛いとかっ?」
とっさに銀様のおでこに手の平を当てて熱を確認する。――熱くない。
とりあえず温かいものでも作ろうと、慌てて立ち上がりくるりと回った瞬間、視界の端に何かが映った。
そして銀様の具合の悪さの原因が解った。
「…お、おじゃます、しますのだわ……」
「するです…」
真紅さんと翠星石さんは申し訳なさそうに、しかも紅くなった顔で挨拶してくれた。
「うわあ!銀様!?銀様しっかりして!」
銀様の心か何かが壊れる音を聞いた気がした。
気を失い、背後へ傾く銀様を抱き寄せ、俺は必死に叫んでいた。
---
おまけ
「えっと、真紅さんに翠星石。いらっしゃい」
気を取り戻した銀様が、俺の横でテーブルに突っ伏している。
向かいには真紅さんと翠星石の二人がそれぞれ椅子に座って、紅茶を一口、また一口と飲む。
銀様をチラリと見やると、全く動いていない。
しかし、髪の隙間から見える耳が真っ赤だった。
「私は楽しみにとっておいたポッキーを水銀燈にとられたです」
気まずい空気の中、翠星石が口を開いた。
「それで取り返そうと思って来てみたら――」
翠星石は一旦言葉を切り、身を乗り出して銀様の耳元で、
「あの水銀燈が人間と、しかもこんな昼間からイチャイチャしてるとは思わなかったですー!」
邪魔して悪かったですねぇー。
と、笑いを隠そうともせずに言った。
「黙りなさいっ!こ、この不細工!キーキー喚かなくても聞こえてるわよ!」
しなやかな銀髪を爆発させるほどの勢いで起き上がるや、フーフー息を荒げている。
「そこの人間とイチャイチャしたくてポッキー盗ったですよね?なら、今度から好きなだけポッキーをくれてやるですぅ」
銀様は無言で、バサァッ!翼を一気に展開。
銀様が翼を一度だけ羽ばたかせると、大量の羽根が部屋中に舞う。
やがて、ひらひら舞っている漆黒は、超スピードで渦のように一ヶ所に――翠星石を中心に収束する!
---
次の瞬間、
「な、なにですか?」
羽根が消えてしまった。
嵐みたいに吹き荒れてたのが嘘みたいだ。
一つ残らず消えてしまった。
「ったくもぅ、脅かすんじゃねーです水銀燈。そんなに…っ!!あ」
「アッハハハハ!どうしたのかしらお馬鹿さぁん!」
目を白黒させる翠星石が、おかしくておかしくて堪らないと言うみたいに、銀様はお腹を抱えて笑っている。
真紅さんはカップを置いて、翠星石を少し見、
「いい趣味とは言えないわね」
呆れた様子で一人呟いた。
「ちょっと貴女の心が壊れるまでお仕置きしてあげるわぁ」
左手を口元に当てて、上品に、そして邪悪に笑う銀様。
「銀様、一体どうしたのさ?全然意味が分からないんだけど…」
「ちょっと見てなさぁい」
銀様は椅子に深々座り直し、右手をゆったり前にかざす。
すると、急に翠星石が椅子の上に直立し、突然自分のスカートの端を摘んだ。
「す、す、水銀燈!や、止めるです。こ、こんなことしてもっ!」
「視られる悦びでも味わってなさぁい」
銀様がこれ以上ないほど、口を吊り上げてニヤニヤしながら右手を上に挙げる。
ゆっくりと自分でロングスカートをたくし上げはじめる翠星石。
「や、あです!嫌です!そ、そんなっ!見ないで、です…」
嫌がっている筈なのに、翠星石の手はどんどん上昇してゆく!
なんとなく展開を予想していた俺は、ギリギリで目をそらすことに成功。
「私の羽根をこの子の間接から中に入れてみたの。意外に大成功しちゃったわぁ!」
銀様は、このドレス私のお気に入りなの。とでも言うみたいに、心底楽しそうに説明してくれた。
---
気を紛らわせるため、真紅さんを見ておこう。
ちょっとその隣が気になるがここで見るかどうかで、男としての品格が問われるのだ。
いや、漢だからこそ、ここは見るべき――否!断じて否!
ああ!真紅さんの髪、とても綺麗なカールがかかってるなっ!
お茶を一口飲んで、上品にテーブルに置いてるよ。
スゴク上品!!
あ、こっち見た。
「見ないの?」
真紅さんが、目線でとなりを指す。
「み、見ないよ!…見たいけどね」
「そう」
真紅さんは青い瞳を細めて微笑んだ。
「ウフフフ!あらぁ、人がいるのに脱ぎ始めるなんてはしたないわよぉ」
「違っ、違うです!水銀燈が勝手に…するからですっ!」
「あらあら、様。を付け忘れてるんじゃないのぉ?水・銀・燈・様。でしょう?」
「だ、誰が言うかっ!です」
「あらあら、下着まで脱ぎ始めて…無い胸を曝け出してどうしたいのかしらぁ?」
「ひっく…え、ぐ。ゆ、許してくださいです…す、水銀燈様」
「よく言えたわねぇ、盛り上がってきたし、もうちょっとやってみましょうか!!」
隣から色々な意味で危ない会話が飛んでくる。
「俺、いま横を見たら、もう戻って来れない気がするんだ…」
「偉いわね。いちいち相手にしてたらきりがないのだわ」
真紅さんはカップを持ち上げ――ちょっと困ったように首を傾げて、
「おかわりいただける?」
「よろこんで」
そんな、どこか平和で、それでいてのんびりとした午後の話。
---
「はい、あーん」
銀様が自然な動作で俺にポッキーを近付ける。
何気なくしてくれたのが嬉しくて、気恥ずかしさ半分で口を開ける。
浮かれ気分の俺の左目にポッキーがやたら大きく映っ…!
「あふっッ!」ビクンと退け反り、涙が滲む。
「嫌にニタついた顔だったからついやっちゃったわぁ」
「今思いっきり目を潰そうとしたでしょ!!」
「大袈裟ねぇ・・・ちゃんと加減してるから大丈夫よぉ」
別に潰れたわけじゃないでしょう?
「銀様。それは頬を膨らませて可愛子ぶって言う台詞じゃないと思うよ」
異物が当たった痛みからか、別の痛みかよく分からないけど、溢れる涙を袖で拭いた。
「気をとり直して、はい、あーん!」
「ヤだよ!気をとり直してってなんだよ!?」
「今度はちゃんと食べさせてあげるわよぉ」
楽しそうなその様子が余計に信用できない。
ぎゅっと目を瞑って何もされない事を願う。
「あーん…」
そう銀様の声が聞こえたが、ポッキーが俺の顔にも口の中にも近付く気配すらも全くない。
おそるおそる目を開くと、じらして反応を楽しむ気なのか、俺の口元で静止しているポッキー。
俺はそれにかじりついて、口中に広がるチョコの甘味を味わった。
---
「もふ、はひらないわあ」
恵方巻きをくわえ、上目づかいで俺を見る銀様。
「いや、そんなに思いっきりくわえなくても、って言うかその目止めてくれ!なんかこう、ゾクゾクしてくるから」
黙って食べる筈の恵方巻きを、
「ん…んむっ、はふ…おほきいわあ」と、聞いてる俺が赤面する程に艶かしい声を上げて食べる銀様。
あ…俺も注意した時点で喋ってるし!
いや、まだ口に入れてないからセーフだよね。
えーっと、今年は南南東だから…だから南南東ってどっちだ!?
「多分向こうだから、あっち向いて食べるよー。あと、一口目だけは黙ってね」
適当な方向を指差し、銀様に合図する。
そして、恵方巻きを少し口に入れて――
「んんっ!おっひすひて…んむっ。たへれなひ」
「またやってるのかよ銀様!どうして噛まずに、舐めてるの!?ちゃんと食べようよ!」
「ちょっとからかっただけなのに、赤くなるなんてウブねぇ」
「銀様がすると、冗談に……とりあえず食べる!さっきから喋りまくりだけども」
ようやく銀様も黙って小さく一口、コクりと上品に飲み込んでから、
「早く豆を、鬼にぶつけたいわあ」
まだまだ残っている巻き寿司をもう一噛みし、うっとりした様子で言った。
「え?な、んの事かな?節分ってのはこのお寿司を食べるだけだよ!」
慌てる俺に、銀様が人指し指を立てて左右に振りながら、
「この私を騙そうったって、そうはいかないわよお馬鹿さん。朝にテレビで観たもの」
嫌な笑を浮かべながら、なんとも楽しそうに話す。
---
鬼に見立てた俺に、豆を全力投球する銀様の画が鮮明に浮かんでくる。
「ああ、楽しみ。節分って素晴らしいわぁ」
鬼はどっちだ。鬼は…。
今日は一年ぶりに雪が積もった。
現在進行形で、小粒になったが雪はまだ降っている。
確にとても綺麗な景色なのだが、鬼は外ー!と、追い出される鬼に同情してしまいそうなくらい寒い。
「でも残念だけど、豆なんて買ってないよ」
お茶で寿司を流し込みながら、銀様に告げた。
「あら、そう。じゃあ仕方ないわね。羽を飛ばす事にするわぁ」
今日、調子いいから、いつもより切味が増してるかもしれないけど。
「今すぐにでも買ってきます…買わせていただきます」
はしゃぐ銀様に背中を押され、食べ終わるや、すぐに家を追い出された。
「畜生。寒すぎる…しかもジャケットに入れてた手袋がないし…部屋におきっぱなしかな」
現在、鬼の気持を身をもって体感中だ。
「銀様に投げつけられる豆を自分で、こんな寒い中、買いに行ってる…ってどんだけMだよ俺」
人一人見当たらない通りを、サフサフ忌まわしい足音を聞きつつ、雪に足跡を残しながら、一人ごちた。
「一人でブツブツ言ってると、貴方まるで不審者さんよぉ」
突然頭上から声が降って来た。
映えるオレンジ色のマフラーを纏って、銀様は俺の前に軽やかに着地する。
「寒いでしょう。私のマフラーの端でも持ってなさぁい」
「手を繋いでくれた方が暖かいのだけど」
「やあよ。貴方の手、冷たそうだもの」
「…何でついて来たの?」
「そ、それは…貴方一人で行かせるなんて、ちょっと気が引けただけよぉ」
「心配してくれてるんだ。ありがとう銀様」
俺は銀様のマフラーの余った部分で手を包みながら言う。
「お礼なんて言わなくていいわ。ただの気まぐれよ」
---
雪が白い軌跡を遺して落ちる間際、街灯に照らされキラキラ輝いていた。
銀様は相変わらず背を俺に見せて、先を歩く。
無数に降る白が夜色の銀様のドレスに模様を作り、ある白は、月の光を反射する銀の髪の上に落ち、滑らかに毛先まで滑って行く。
銀様は、サフサフと鳴る心地好い足音を楽しんでいる様だった。
「傘、持ってくるべきだったな」
「そんなの、折角の雪なのにもったいないわぁ」
くるり、一回転した銀様に、マフラーを掴んだままの俺は引き寄せられる。
「ちょっ、はしゃぎ過ぎだよ!」
「すっかり忘れてたわ」
銀様は、一度笑って何でも無かったように、俺に銀髪を向けた。
上下にぴょんぴょん跳ねる銀の髪を眺めていると、静かな音楽が聴こえてきた。
銀様が何かの鼻唄を歌っている。
もの悲しいリズムだけど、とても美しい曲調だった。
そよ風のように、淡く、心に吹き込んでくる銀様の唄。
目を瞑って銀様に牽かれながら、しばらくの間、耳を傾けた。
たった今、通りを吹き抜けた冷たい風が、銀様の唄を拐って行ったのだろうか。
銀様も立ち止まっているようだ。
「銀様。続き、歌ってよ」
言っても返事がないので目を明けると、俺の顔を見上げる銀様の笑顔。
「もう着いたわよ。お馬鹿さん」
気付くと既にスーパーのちょっと前まで来ていた。
「あ…、うん行ってくるよ!」
銀様の声に聴き惚れていた。
そんな顔を銀様はバッチリ見ていたのか、ずっとニヤニヤ笑って俺を見てくる。
妙に恥ずかしくって、照れ隠しに俺は頭を掻いて早歩きで銀様の前を通り過ぎる。
そんな俺の右袖が、後ろに軽く引っ張れる感触。
銀様が袖を掴んでいた。
俺は立ち止まった。
そして
「唄の続き、帰りに…歌ってあげる……」
「うん、すぐに…一秒で戻ってくるよ!」
銀様が袖を放すのを待ってから駆け出した。
---
きっと、どれだけ早く戻ってきても、俺が本当に一秒で帰ってきたとしても、
銀様は「遅かったわね」と俺に言うだろう。
俺は口先だけで謝って、それから、
銀様よりちょっと後ろを歩きながら――
銀様のマフラーに牽かれながら――
銀様の歌ってくれる唄を目一杯聴こう。
家の前に着いても、そのまま、もう一周してしまってもいいかもしれない。
銀様は、バカって俺に笑いかけて言うだろうけど、嫌そうな顔をせずに、付き合ってくれるかもしれない。
冬の夜の静けさをBGMにした、銀様の唄と、軽やかに響く雪の音。
少しでも早く聞きたい。
その唄を。
俺は駆けた。その歌声に少しでも早く、間に合う様にと。
---
「銀様!今日はバレンタインデーだね!」
「チョコ食べたいなら自分で勝手に取ればいいじゃない。ほら、そこにいっぱいあるわよぉ」
「うん、それでいい!とりあえず手渡してくれない?」
「はあ?貴方ね…そんな風にチョコ貰って嬉しいの?」
「銀様がくれるのならどんなチョコでも嬉しいよ!」
「あらそう、残念ね。今日ばかりはどんなチョコも貴方にあげる気なんてないから安心なさぁい」
「お昼ご飯…銀様が手渡してくれるまで作らないよ」
「ええ、それで構わないわ。実は今日は昼から真紅の処に招かれてるの」
「ええ!?」
「なんでもパーティするみたいなの。行く気はなかったのだけど、今行く事に決めたわぁ」
「ぎ、銀様!ゴメン!大人げなかった!昼ご飯は銀様の好きなのを作るから…だから待っ」
ぼんやりしているうちに、そんな昨日のやりとりを思い出してしまった。
結局あの後、銀様は夜になるまで帰って来なかった。
俺が風呂に入って戻って来ると、いつの間にか帰って来ていたらしい。
頭だけコタツから出して眠っていた。
仕方がないので銀様を抱き上げ、ベッドまで運んでいたら、甘いチョコのような香りがしたのを憶えている。
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結局、今年もチョコは貰えなかった。
でもまあ、毎年貰ってないからいいけどねっ!
落ち込む気持ちを忘却するために、開き直ってみた。
銀様の平和な寝息を聞いていると、そんな事でウジウジ悩んでいる俺がバカみたいに思えてきたのだ。
今、俺はぼんやりとコタツの定位置に座って銀様を眺めている。
銀様は新聞の四コマを見、番組欄の夜九時のラインに目を通して溜め息ひとつ、新聞を手早く畳んで放り投げた。
俺の視線に気付いて、少し首を傾げて微笑んだ。
銀様は、複雑な表情をしているであろう俺の顔をまじまじ見つめて、何を思い立ったのか、不意に立ち上がった。
徐に、部屋の隅に立掛けている鞄を開け、何かを取り出して俺の顔に無言でつき出した。
「銀様…これは!?」
「いいから開けてみなさい」
俺に渡すとすぐに後ろを向いてしまった銀様が震える声で答えた。
言われるままに、薄桃色の包装紙を破かないように丁寧に広げ、中の箱を開けると…。
チョコだった。
それもハート型?のものだ。
「すごい!ありがとう銀様!!…でも形がちょっとイビツな」
「こんなの作った事なんてないから…しょうがないでしょう!?」
「銀様の手作りなの!?」
「向こうで翠星石の馬鹿が、どうしても。って、煩く言うものだから…。向こうにその型しかなかったし、しょうがなく作っただけよ」
しどろもどろに言い訳をする銀様は、慌てて付け足す。
「勘違いしないで欲しいのだけど、今日はバレンタインデーじゃないわ。だから…ただのチョコよ。それは」
真っ赤な耳が、銀の髪を透けて見えそうだった。
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顔を臥せた銀様の正面で膝立ちになって、ちゃんと目を見てお礼を言いたかった。
しかし、「ありがとう」の、「あ」の字を言う前に突然銀様が抱きついてきた。
「ぎ、銀様!?」
俺の首に腕を周して、絞めるようにぎゅうっと力強く。
「今、ほんとに顔は見せらんないわ」
恥ずかしがる表情を見せまいと抱きついたらしい。
「別に抱きつかなくても…」
「こうしたら、確実に見られる事はないわ。安全策よ」
ちょっとは気を遣いなさいよお馬鹿さん。
俺の耳元で囁く声に問掛ける。
「俺ってダメな家来かな?」
「そうね、それもかなりのね」
呆れたように笑って答えた銀様は、
「もう五分だけ」
更に強く抱きしめ、ベッドでまどろみながら言うみたいに呟いた。
おまけ
「唐突、だけど、膝痛いし、息も、苦しく、なって…」
「それくらい我慢よ」
「い、いつ、まで…」
「私が落ち着くまでよぉ。時間で言うと、あと五分」
銀様より先に、俺の心臓の方が落ち着きそうです。
俺はこの嬉しいような、苦痛なような、そんな永遠の五分が早く終わることを、ただただ願った。
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ある日の朝の風景
「うー、今日も寒い。天気も…」
もうすぐ春だというのに、晴れとは言えない空模様。
おまけに午後から雨が降るそうだ。
ここ数日、雲のおかげで溜りに溜った洗濯カゴを見るだけで、軽く憂鬱モードになってきた。
ああ、昨日干したやつ、微妙に乾いてないしなぁ…。
ついでに一昨日のも…。
だからといって生乾きに乾燥機を使うのは非常に悔しい。
俺は、皺くちゃのシャツを握り締め、更にくしゃくしゃにしながらどうしようか10秒ほどたっぷり考え、一つ案が浮かんだ。
わざわざ干さなくともいい場所があるじゃないか!
「はいはーい。失礼するよ銀様」
「ちょ、何よその服の山は」
俺は洗濯カゴを持って居間に入場。
ドサっ!
やたら重量があるそれを床に置いた。
「え?何って、洗濯物だけど。外、曇ってるから此処で乾かそうかなって」
見るからに嫌そうな顔をする銀様に、しょうがないから許してよ。と謝った。
「まあいいわあ。勝手になさぁい」
「ご協力感謝するよ」
さて、そうと決まれば早速…。
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「温いし、洗濯物も乾くし。やっぱコタツは素晴らしいね。考えた人天才だね」
銀様には悪いが、最終手段としてコタツの中に入れさせてもらった。
さっきから、じーっと不満気な眼差しを向ける銀様に、明るく話しかけた。
「ここに入れるなんて聞いてないわぁ。凄く邪魔よ。すぐ出してちょうだい」
嫌そうな顔で銀様は言ったが、そんな顔がまた可愛い。
「なるべく邪魔にならないようにするよ」
そう言って、銀様の方へ崩れないように、こちらに寄せたりしたのだが、それでも銀様の領域を大いに侵犯してるらしい。
うー。と低い声で唸る銀様に、とりあえず笑いかけてみたら睨まれた。
「あ…いい匂い。なんだか落ち着くわぁ」
突然、銀様はおもむろにコタツから洗濯物を取り出し、香りを嗅ぎはじめた。
コタツ布団を捲れば、確かに洗剤のいい香りがほのかに漂った。
俺もコタツに手を突っ込んで、ハンドタオルを取り出して、銀様と同じように香りを堪能する。
「いい具合に乾いてるね」
さすがに、少し厚めのタートルネックや、シャツ、バスタオルなどはまだ少し湿っているが、薄い布のものはもう大丈夫みたいだ。
とりあえず、乾いたものから先に片付けるとしようかな。
「あぁ、なんてやわらかくて、優しい匂いなのかしら」
余程この洗剤の香りが気に入ったのだろう。
手に持った布に、顔を擦り付けてなんとも幸せそうである。
「晴れた日だったら、太陽の香りも吸い込んで、もっといい匂いにな――ってむおっ!?」
俺が、素っ頓狂な声を上げたのは他でもない。
見てしまったからだ。
たった今気付いてしまった。
「ぎ…銀様。ちょっと…っ!」
「何よぉ、いま至福の瞬間なの。邪魔しないでちょうだぁい」
顔に押し当てた布越しに銀様が返事した。
見違える筈がない…。
銀様が嗅いでいるのは俺の――
そう、あの柄は間違い無く――
パンツだった。俺の。
さっきまでなんとなくで銀様のほうを見ていたので気付かなかった。
念のため目をギュッと瞑ってから、再び見てみても、やはりそれはパンツだった。
紛うことなくパンツだった。
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「布地がさらさらで、肌触りが良くて気持ちがいいわあ」
全く気付いていない銀様が、パンツに顔をうずめて言うものだから、恥ずかしさで気が狂いそうだった。
そんな気分と同時に、興奮に似た感情が胸の奥から沸々と沸――いたらだめだ!静まれ!
もし銀様が気付いてしまったらどうなることか…。
これはなんとしても気付かれる前に奪還しなければならない!
タオルと引き換えに返してもらおうか。
いや、それより無理矢理にでも銀様から取り上げてしまおう。
少し怒るだろうが、適当に代わりのタオルやらなにやら渡してしまえばいい。
そう逡巡したことが間違いだった。
いざ行動に出ようと、腰を上げた瞬間。
「あら?ところで、このタオル。なんで真ん中に穴が…そういえば色柄もちょっと派手……」
そう呟いた銀様が、それを顔から離し、両手に持ってまじまじその形を眺めた。
銀様が、車に轢かれた猫の如く。断末魔を上げる僅か半秒前の事であった。
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ようやく。
ようやく春らしくなってきた。
この冬を、ほとんどフル稼働で大いに頑張ってくれた旧式のストーブは、今は部屋の隅で休憩している。
そろそろコタツとか片付け時かな?あー、でも今日はなんかやる気が起きないな。
そういえば、カーテンも換えないといけないんだっけなぁ。
俺は、ソファにてぼんやりしながらふと思った。
銀様はというと、いつもの場所から窓際へ移動している。
お気に入りのクッションを二、三個携えて、窓際に適当に置いてその上に体を投げ出し、気持ちよさそうにのどかな陽射しに目を細めている。
そのまま両手両足をピンと伸ばして二度三度大きく背伸びした。
背伸びするたびに「んにゃああ」と気持ちよさそうに声を漏らしていた。
「何か鳴き声がすると思ったら、こんな所で大きな猫がひなたぼっこしてるよ」
銀様がなにも反応してくれないので、銀様の頭に頑張って手を伸ばしてみた。
俺の指先が銀様の額に触れた途端、銀様は右手で俺の手を叩くように払って、
「猫は勝手に触られるのが嫌いなのよぉ。今度やったら引掻くわよ?」
ごろーん。と回ってうつ伏せになって、俺を見上げながら言った。
そのまま俺をまじまじ見つめて、
「私が猫なら貴方は犬ね。主にそこそこ忠実なところが。ただ、ちょっと駄犬だけど」
ふふっ。と鼻で軽く笑いながら呟く。
「駄犬って…酷いなぁ。俺はそこそこどころか、大分忠実だと思うんだけど」
「お馬鹿さんほど、思い込みが激しいものよ」
「そう…なのかなぁ…。まあいいや。とりあえず頭撫でてよ」
「……意味が分からないわぁ」
「ほら、犬って頭撫でられるのが好きだしさ。実際俺も銀様に撫でられるの嬉しいなぁ。なんて思ってたり…」
「…バカ」
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遅れすぎたおまけ
「ちょ…銀様…苦し……」
「子猫になりきって貴方に懐いているだけよぉ」
「だからって、わざわざ俺の胸の上に乗らなくても…!!」
息苦しい中、搾り出すように俺の身体の上で丸まっている銀様に言う。
「ここが一番いいわぁ。暖かいし、ついでにちょっと嫌がらせもできるし」
銀様は俺の鼻をツンツン突いたりして一人で楽しそうに笑っている。
銀様に好きに弄られてる俺は、溢れんばかりの迷惑オーラを顔に出しながら、
「子猫になりきるとかそれ以前に、銀様はちょっと重過ぎるよ!!」
と、つい口走ってしまった。
言った途端に、俺の顔面に銀様の猫パンチが飛んでくる。
もちろん避けることなどできずにモロにくらってしまった。
「もっぺん言ってみなさぁい。貴方の顔を引掻きまくってやるわぁ」
「そんな事言いながら俺の首で爪を磨がないで!マジで痛い!痛いですっ!!」
「なら無様にも、服従のポーズをなさい。許してあげるわよぉ」
これ以上ないほど、楽しそうに笑いながら銀様は言った。
俺は服従のポーズをとりながらも、今日の夕飯は、銀様の嫌いなものオンパレードにしようと決意した。
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