「何か見たいテレビでもある?」
「別にないです」
「じゃあチャンネルはそのままで…あ、お茶でも」
「いらないです」
「……そ、そう」
ツーンと言い放った翠星石は、ソファの上で両膝を抱えて黙りこくっている。
俺もその隣で座って、垂れ流されているテレビを、ただただ眺める。
気まずい。すごく気まずい。
俺達の背後で楽しそうに真紅さんと話す銀様との温度差が凄い。
大体、この翠星石はどんな話が好きなのだろうか。
とにかく話題がないと落ち着かない。
「りょ…料理とか結構する、方だったりする?」
「………」
「あ、いや…なんでもない」
「ちょっと…真紅と向こうで話ししてくるわ」
「銀様!ちょ、ちょっと!」
背後で銀様が椅子から降りたと思いきや、真紅さんを連れてすぐに居間を出て行ってしまった。
引き留めようにも間に合わなかった。
不味い、この空気に耐えられる自信がない。
何かいい話とかないのだろうか。
「ところで人間。水銀燈とは一体どこまでいったですか?」
銀様達の姿が消えた途端、突然翠星石が口を開いた。
「え!?いきなり何言って…」
「どうなのですか?」
翠星石は、以前銀様に向けていたような目ツキで、横からマジマジ見てくる。
無言で居られるよりはマシだが、これはこれでかなり酷な質問である。
しかし、こんな話題が好きなところは女の子らしいと言うか何と言うか…。
「別に、なんでもないよ。銀様とは…」
「えー。何か隠してるんじゃないですか」
と言いながら、疑いの眼差しを向けてくる。
「何も隠してないよ。本当に。銀様がそんな風に想ってくれてるとはちょっと思えないし…」
どっちかっていうと、俺の反応を楽しんでるような…いいオモチャにされてる感じなようにしか思えない。
「本当ですか?この間、って言ってもバレンタインの時ですけども。好きな人にチョコあげたいから作るの手伝え。って無理矢理手伝わされたですよ」
おかげで楽しみにとっておいたチョコを使われちゃったですよ…。あの様子じゃあ、水銀燈は人間、お前にメロメロですよ。
「え!?銀様がそんな事を言って――」「嘘ですよ」
「………………………」「がっかりしてても何も始まらないですよ。これからですよ。これから」
そう言って俺の肩をポンポン叩く翠星石に、いつか銀様が抱いたであろう気持ちがふと湧いたが、虚しさの方が上回っているので涙が出てきそうだった。
どうやら、俺はこれから翠星石にもイジられそうな気がして堪らなくなってきた。
---
おまけ
「あら貴方……あの子と何を話してたの?随分落ち込んでるようだけど」
真紅さんと翠星石が帰った後、銀様がポツリと呟いた。
「大したことは…。これから。これから頑張るよ。俺」
「これから?頑張る…?何の話?」
「な、なんでもないよ。ただ、ちょっとした決心みたいなものかな」
「そう、もし今私が手伝ってあげられるなら手伝ってあげるわよ?」
「いきなりらしくない発言だね」
「…いつも貴方に迷惑かけてるから……」
「え……?ど、どうしたの…そんなこと言って…」
この時、伏せ目で言った銀様は、一瞬悲しそうな表情をした。
それはほんの一瞬だったのだが、普段俺に色々(一部は傲慢だったりする)命令をしている銀様とは思えない顔だった。
「別になんでもないわぁ。ちょっと言ってみただけよ」
と、いつもの調子で銀様は俺に笑いかけた。
「銀様のこそ、真紅さんと何話してたのさ」
「これからの事とかよぉ…、こっちもそんなに大したことないわぁ」
「ふーん。さて、銀様。明日花見でも行かない?」
「花見って、最近テレビでよく言ってるあれのこと?」
「そう花見。いい感じに桜が咲いているみたいなんだ。ちょっと離れてるけど、桜がたくさんある公園があるんだ」
「明日ねぇ……それもいいわね」
「よかった。じゃあ俺、今晩からはりきってお弁当作っちゃうよ!」
これからなのだ。
まだなんにも始まってはいない。
ちょっとずつでも、ほんの一歩ずつでも、銀様に好かれたい。
そう、これから。
これから頑張ればいいんだ。
こんな毎日がいつまでも続くと思っていた。
---
「綺麗だわぁ…」
桜の下で、銀様は上を仰いで呟いた。
俺も銀様につられて無言で上を見た。
桜の花が、ポップコーンのようにポンと音をたてて咲いたかのように、枝のいたるところで弾けていた。
無数の花びらが集まって、白桃色の絨毯みたいに、空に一杯に敷き詰められている。
そよ風に枝が揺れ、差し込んでくる木漏れ日が、ゆらゆらと芝生に様々な影絵を形作る。
「信じられないくらい晴れてるね。このまま昼寝でもしたいけど、とりあえずお弁当食べようか」
バッグからレジャーシートを取り出して、小さめに広げて銀様を手招きした。
俺の隣にちょこんと座った銀様は、ただ上をじっと見ていて、時々眩しいのか目を細めていた。
「銀様。今日はね、銀様の好きなやつをたくさん作って入れてみたんだ。スペシャル弁当って感じだよ」
俺は、はい。と銀様に手渡して、どんな反応するのか楽しみに、蓋を開けるのを待った。
しかし銀様はいつまでたっても開けない。
膝の上にお弁当を乗せたまま、顔を落としてそれをずっと見つめている。
「銀様…?食べないの?あ、まだお腹空いてないんだね…じゃあそれは、あとに――」
---
銀様が俺のシャツの袖を掴んで、引っ張る。
「……ね、ぇ」
いつもなら俺はなんともなく、なに?と銀様に聞けただろう。
けれど、今はそんなことできる勇気がない。
銀様の手の震えが伝わってきたから。
銀様のその一声は、聞いたこと無いくらいに弱弱しさを感じさせる声音だったから。
昨夜、銀様がふと呟いた言葉も脳裏を過ぎった。
だから、何か重大な事を言う直前というのはなんとなく分かってしまった。
そう、どちらかというと悪い意味での。
「私、もう…行かなきゃ……」
「銀様!…今日は折角こんなにいい天気なんだ……だから…さぁ……」
本当に俺は臆病だ。
今なんて、銀様の声すら聞きたくないほどに怯えている。
こんな日が絶対に来ることは、自分でも理解していた。
出合ってしまえば、そりゃあいつかは別れることになる。
それは当然の事で、そのくらいはいくら馬鹿でも解っている。
しかし、実際に『そんな時』になってしまえば、解ってはいても認めたくないのだ。
「銀様…。ほんとうに俺…ダメな家来だろ……?銀様の事、勝手に好きになって、しかも…銀様に好かれたい。なんて思ってさ!」
高望みも甚だしいよね。
本当はこんな時が来たら、笑顔で、手を振って見送ってやろうかな?とか思ってたんだよ。
でも、全然ダメだ。
銀様を引き留めようとしてるし、終いには涙までちょっと出ちゃってるしさ。
こんなんじゃ嫌われて当然だよね。
馬鹿みたいだろ!?ほら、俺馬鹿だから、銀様に思いっきり殴られて、嫌われないと目が醒めないんだよ。
銀様…。優しさなんて俺にかけないで。
一発俺の顔をぶん殴って、そのまま無言で行っちゃってよ!
---
気付くと、銀様の顔がぼやけて見えた。
この目に溜まる涙が忌々しかった。
ギュッと思いっきり目を瞑って涙を落とした。
けれど、目を開けるのがこわかった。
銀様の顔を見たら、気持ちが変わってしまいそうだったから。
そのまま俺は待った。
銀様の平手なり拳なり蹴りなり、なんなりと受けるために。
右から衝撃。ピリッと頬が痛んだ。
それっきりだった。
俺の前に、今まで…いた気配がなくなった。
そっと目を開ける。
銀様が困った顔で、文字通り目の前に居た。
見たくなかった。俺はすぐに目を閉じた。
「別に貴方はダメな家来なんかじゃないわぁ。でもこれ以上言うと貴方が怒りそうだから何も言わないわ」
頬に温もりを感じた。おそらくそれは銀様の手だ。
「ありがと」
気のせいだと思うほどに小さく、そう聞こえてきた。
ほんの一瞬、柔らかな感触。
「あ………」
驚いて、つい目を開けてしまった。
そこに銀様の姿はなかった。
「あ…れ……?ここは…」
ただ黒色を映すテレビ、コタツ、冬用のカーテン。
いつもの家だった。
俺はソファに座っていた。
さっきまでのは…。
悪い夢でも見ていたのか…?
「ぎんさ……。」
呼ぼうとして止めた。
もう銀様がいないのは解っていたから。
部屋の隅に置いてあった銀様の鞄がなくなっていた。
2日間掃除をさぼっていたので、その鞄がそこに在った跡を見つけることができた。
不思議と涙は出なかった。
もう十分すぎるほどに泣いたことを思い出した。
---
季節は春。
さすがにコタツを出しっぱなしにしておくわけにはいかない。
そろそろ片付けないと。
ついでにカーテンも替えないといけない。
早速だが忙しくなるなぁ。
ちょっと溜息を一つついた俺は、よーし!と一言。気合を入れて模様替えに取り掛かる。
その時、ふと一枚の紙が目に留まった。
『お弁当もったいないから貰っておくことにするわ』
「いやいや、最後に残す手紙としては色々問題があるだろ」
銀様らしいといえば銀様らしい書置きだった。
でもなんだか笑っては怒られそうな気がしたので、笑いを堪えながら、俺はその書置きを戻しておいた。
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ウラウラとコレまで好きなように、好きなときに、長らくの間書いてきましたが、
そんないい加減な感じでやってきた銀様生活もこれで終わりです。
できることなら、もっともっと書きたかったのですが、
スランプっぽい気がするので、ここまでとさせていただきます。
よんでくださった皆様。後、バレンタインの日に全裸待機していてくれた方。
本当に今までありがとうございました。
※ヒント たて読み
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目を開けるといつものように天井が広がっていた。
とっくに昇りきった太陽の光が目に痛い。
サンサンと必死に働いている太陽の位置的に、今は昼前であろうか。
「あ、しまった!銀様の朝ご飯……」
銀様に怒られてしまう!早く起きないと!
一気に意識が覚醒する。
同時に冷静になった頭で思い出してしまう。
銀様はもう…いないということを。
もう、あれから何日も経ったというのに、それでもまだ銀様がそこにいる。そう感じてしまうのだ。
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「何バカなこと言ってんのよ。そ、そんなこと貴方にされなくても私はアリスになるわぁ!」
俺が余計なことをしたから、貴女は怒ってそう言った。
「ねぇ、コーヒー淹れてちょうだぁい、コーヒー」
椅子に座って、頬杖を付きながら貴女が言った。
「折角貴方が買ってくれたのに、汚れちゃうかもしれないじゃない」
白いワンピースを着た貴女。
「熱がちょっと退いたからって調子に乗っちゃだめよぉ?」
風邪をひいた時、かなり雑だったけど、看病してくれた。
「ホントに貴方のそういう所私は大っキラ………す…、好、大好きよぉ…」
「なにか手伝うことなぁい?」「放してよ」「絶対に落とさ…いや、絶対落としてやるわ!絶対だから」「ちょっとこっち来なさぁい。殴ってあげるわぁ」
「ホントに?それが熱が下がっていると証明できるの?無理よねぇ無理。証明できなければ完治したとは言え――」
「文句なら明日にでも受け付けるわぁ」「ヘンなトコ触ったら怒るわよ」
「私の妹達なんてあんなのばっかりよ。姉として疲れちゃうわぁ」
「ウフフ…しんくったら、何をあわてているのかしらぁ?」「食べちゃいたいわぁ」
思いっきり酔っ払った貴女。
「ちょっとぉー…もう、起きたらぁ?」
「ウフフフ!あらぁ、人がいるのに脱ぎ始めるなんてはしたないわよぉ」
「んんっ!おっひすひて…んむっ。たへれなひ」
「やあよ。貴方の手、冷たそうだもの」
「唄の続き、帰りに…歌ってあげる……」
「ええそうよぉ。コイツはただの人間で私の家来。それ以上でもそれ以下でもないわよ」
「勘違いしないで欲しいのだけど、今日はバレンタインデーじゃないわ。だから…ただのチョコよ。それは」
おかげでホワイトデーに何も渡さなかった。
「私が落ち着くまでよぉ。時間で言うと、あと五分」
永遠に感じられた五分。早く終って欲しかった。
「あ…いい匂い。なんだか落ち着くわぁ」
「もっぺん言ってみなさぁい。貴方の顔を引掻きまくってやるわぁ」
猫以外の動物に例えられない。
「綺麗だわぁ…」
「別に貴方はダメな家来なんかじゃないわぁ。でもこれ以上言うと貴方が怒りそうだから何も言わないわ」
「ありがと」
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ダメだ。思い出すのは。
思い出すだけでいま、こんなにも…泣きそうになってる。
妙に重たい体を引きずりながら、居間のドアを開けた。
「おはよぉ。今日は随分お寝ぼうさんねぇ」
「っぎ、銀・・・さま?なん……で」
「引っ掛かったわねお馬鹿さん!今日はエイプリルフールよぉ!!」
「は?エイプリルフール?…え?じゃあ俺は…」
確に何日も過ごした筈なのだ。銀様のいない、生活を。
「貴方、全く気付いてなかったのね。さっきまでのは全部、夢よ」
夢…?あんなにリアルだったのに…?
でも確かに、片付けたはずのコタツがあるし、カーテンだって前のままだ。
混乱している俺に、してやったりと勝ち誇った顔の銀様が続ける。
「翠星石にわざわざこの私が頼んで、スィドリームを貸して貰ったんだから」
緑色の光の球みたいなのが何処からともなく出てきて、銀様の周りをくるくる回り始めた。
ともあれ、恐らく銀様の言う、すいどりーむ。とやらはコレのことだろう。
これを使って、夢をあれほどリアルに見せたということか。
「……こんなに。こんなに……無駄に手の凝った事をしなくても…………」
身体から力が急に抜けた。
糸を切った操り人形みたいに、その場に崩れ落ちる。
「だっ!大丈夫!?」
銀様も驚いて俺の傍に駆け寄って来てくれた。
「だ、大丈夫だよ銀様。ただ……模様替えしたのに、夢の中だったと知って、ちょっとガッカリしただけだよ」
そっぽを向きながら、相変わらずの憎まれ口で答える。
ほっとして涙がちょっと出てしまったから。
銀様に泣き顔を見られたくはなかった。
だからちょっとでも強がって、無駄な元気をみせる。
「なによぉ。その言い方。私が何処かへ行っちゃってた方がよかったかしら」
銀様は、わざとらしく不満気に言う。
「しょ、食費的には、助かるよ…」
「あら…?貴方、泣いてるのぉ?ほら、ちょっとこっち向きなさいよぉ」
「ぎん、様のせ、いだよ…!ちょっと、着、替えてくる。それから…一緒に、花見に、行くよ、銀様」
震える声で、しゃっくり混じりに言って、立ち上がり、俺は部屋まで駆けた。
さっきまで重く感じた身体が、何故かとても軽く感じた。
---
大きく広げたレジャーシートの四隅に、風で捲れないように水筒や小石やらバッグやらを配置するや、俺はそのまま引き込まれるように倒れた。
ごろりと半回転して仰向けになって、ぼうっと桜を見る。
やわらかくそよぐ風が、顔に当たって心地いい。
頭上で元気良く咲いている桜が恨めしく思えるほどに、とにかく今は身体がだるい。
自然と下がる瞼の重みにすら、負けてしまうほどなのである。
まぁ、あんな夢を見させられたせいなのだが…。
「あらあら、自分から敷物になるなんて、家来っぷりが板に付いてきたわねぇ」
声が聞こえたかと思った途端、腹にずしんっと衝撃が加わり、思わずカエルが潰れたような呻き声が口から洩れてしまう。
目だけ動かして銀様を確認する。
俺の上に腰を下ろして、いつものように微笑んでいる銀様の顔がチラリと覗く。
「…ぎっ、銀様…。是非、し…シートの上に座って、いただ、きたい」
今の俺には起き上がって銀様をどかす気力すらない。
「目、醒めたでしょ?」
銀様は、全然気にも留めてない表情で俺に微笑み返してくる。
「痛みで、目が、醒めたよ」
「そう。ならよかったわぁ」
痺れるような満面の笑みの銀様は、ピョンと飛び跳ねるように立ち上がって、俺が持ってきたバッグをゴソゴソし始める。
俺が背伸び一つしながら上体を起こすと、
「はい。早速だけどお昼にしましょう。私もうお腹空いちゃったわぁ」
テキパキ素早い動作でお弁当を手渡してくれた。
銀様はすぐに自分のを取り出して、いただきまぁす。と、蓋を開けた。
「エビフライが三尾も…それに唐揚げまで入ってるわぁ!」
早速、エビフライをもぐもぐしている銀様を見て自然と笑みが零れる。
その光景を見ている俺も、お腹が空いてきた。
そういえば朝ご飯食べてなかったな…。
「喜んでもらえると嬉しいよ。んじゃぁ、俺もいただきます」
ポカポカ暖かな陽気に目を細めながら、俺は唐揚げを一つ口に放り込んだ。
---
「ねぇ、桜って…こんなにも綺麗なのね」
箸を止めた銀様が、辺りを見回し呟いた。
「なんてったってお花見日和だからね」
二つ目となる唐揚げを飲み込んで、俺も周りを見た。
見事に咲きほこる桜が、何本も連なっていて、それはもう白桃色でいっぱいだった。
銀様の髪を滑らかに撫ぜた風が、桜の枝を僅かに揺すって通り過ぎてゆく。
花びら一枚一枚が弾けるように木々を、空を彩っていた。
「銀様と、一緒に来れて本当に良かったよ」
視界を戻すと、エビの尻尾を口から出している銀様と向き合った。
あれ?もう銀様は全部食べちゃってた筈なのにな。
俺は瞬時に手元の弁当箱を見た。
とって置いていた筈のエビフライが、
なかった。
「ねぇ、銀様。なんで勝手に…」
「嫌いだから残していたのかと思ってたわぁ。ほら。返して上げるわ」
尻尾だけになったエビフライが、無事に俺の弁当箱に戻ってきた。
「なんであれが夢だと気付かなかったんだろう…」
お昼ご飯を終えて、ただ静かに桜を眺めながら俺は呟いた。
「それはこの私の、緻密な計算に基づいた巧妙な操作があったからよぉ」
えへん。と、誇らしげな顔の銀様に俺は続けて言う。
「夢の中の銀様はすぐにどこか行っちゃったけど――」
「――本物の銀様ってこんなに食い意地張ってるんだから、なにがなんでも食べてから行くよね?」
強めの風が吹き抜けていきました。
桜の枝がザワザワ音を立てて揺れました。
銀様の髪が、風のせいでしょうか、少し逆立って、炎のような激情のオーラが出始めました。
そして――。
---
おまけ
そんな感じのお花見から、もう一週間ほど経った。
この前雨が降った事もあり、あの時満開だった桜が、そろそろ散り始めるらしい。
「桜って、散ってるところも、とても綺麗なんだよ。雪みたいに上から降るだけじゃなくて、地面に落ちた花びらが舞い上がったりするのがさ…」
「それって、もしかしてデートのお誘い?」
「で、デート…じゃないよ、さ、散歩の誘い、かな」
「解ってるわよ。ただちょっとからかってみただけよぉ」
ニコッと笑った銀様が、俺のすぐ傍まで歩いて来て、ちょんちょんと袖を引っ張り始める。
「え?い、今から!?」
「そうよぉ。今から」
「ちょ、ちょっとまって、花粉症の薬を飲んでから…」
「そんなの待ってられないわぁ」
ぐいぐい指を引っ張られ、薬を飲む間さえくれない。
「せ、せめてマスクを…」
「今すぐっ。って言ってるのよお馬鹿さん」
腕をぐんぐん引っ張られ、マスクすら取りに行かせてくれなかった。
案の定、まだあまり桜は散ってはいなかった。
地面に落ちている花びらも、まだ数えるほどしかない。
代わりに、スギ花粉は信じられないほど飛び散っているらしく、くしゃみやら、目のかゆみやらで大変だった。
そんな俺を、心底楽しそうに笑う銀様を見ていると、最初からコレが狙いだと思えてくる。
いやおそらくコレが狙いなのだろう。
銀様も花粉症になればいいのに。と切実に、白昼の流れ星に俺は祈った。
---
「止んだと思ってたら、また降ってくるんだもの………」
窓枠に立って、困った顔で独り言のように呟いた。
そんな顔をしているくせに、その声音はどこか楽し気な成分を含んでいた。
銀様の前髪を伝って落ちた雨粒が、フローリングの上でポタポタと音を立てて弾ける。
それだけではない。
スカートの裾や、指先からも絶えず流れ落ちている。
銀様がいつもの様に気まぐれに、
「散歩してくるわぁ」
と、例にならって唐突に窓から軽やかに飛びたって行った。
もちろん、「夕立くるかもしれないから、気をつけて」なんて言う間もない。
「うわぁ…行っちゃったよ…。ま、雨降ったらすぐに帰ってくるだろうから、…いいか」
銀様の飛びたっていた窓を眺めて、一人ごちた。
しばらくすると、案の上小さな雨音が聞こえたと思えばすぐ止んで。
そして止んだと思えば、5分もしない内に、バチバチと窓を打つような激しい雨が降りだした。
「そろそろ銀様帰ってくるかな…?」
ハンドタオルを片手に、空を見たり、遠くの方をじっと眺めたり。
まだ銀様は戻ってこない。
「あー、遅いなぁ。雨宿りでもしてるのかな」
部屋を行ったり来たりうろうろしたり、気晴らしにテレビを点けてみた。
10分経った。それでも銀様は帰ってこない。
何かあったのかもと思うと、居ても立ってもいられなくなる。
よし、ちょっと探しにでるか。心配だし。
と、決心してから部屋を出ようとした時だった。
背後から、コツンという軽やかな音。
よく聞きなれてる。銀様のブーツの足音だ。
次いで、銀様の声。
「止んだと思ってたら、また降ってくるんだもの………」
「うわっ!どうやったらそこまで濡れて…っていいや!とりあえずタオルを…」
駆け寄って銀様にハンドタオルを手渡す。――どう考えてもこんなんじゃ足りない。
「ちょっと待ってて」俺は一言残し、バスタオルと、ついでに着替えとを持ってくることにした。
「銀様。もういい?」
扉の前で、銀様に尋ねた。
「いいわぁ」という返事を聞いて入室する。
白地に黒のストライプという、なんともシンプルな柄のシャツを着た銀様がすぐ目の前にいた。
長すぎる袖が目に付くが、なにより露出している銀様の足が目に留まる。
所謂、裸ワイシャツというものだが、決して狙ってやった訳ではないと、ここに宣言しておく。
ただ、たまたま。たまたま焦って取った服がコレだった。というだけの話だ。
---
それにしても、いざそれを前にすると目のやりどころに困る。
部屋を見回すように、視線を逸らして気でも紛らわしておく。
そんな中、「ねぇ、これ袖が長いから折ってくれる?」と、銀様は傍に寄ってきてそう言う。特に恥ずかしがりもせず、あくまで自然体だ。
妙に意識してしまっている自身が恥ずかしい。
俺も、自然に、しぜーんに対応する……。
先人から受け継がれてきた男のロマンというものは、ものすごい破壊力を持っていて――。
「あぁ!袖ね!いいよ、オーケー」裏声で返事してしまう。
袖のボタンを外して二、三回折るのだが、視界にぼやけて映るスラリと長い銀様の足が反則的だ。
右袖が終わって今度は左袖。
黙々とその事に集中しているはずなのに、段々銀様の足に焦点が合い始める俺の目が憎らしい。
「はい、できた」
視る、ではなく凝視、の領域に入る前に俺は口早に言って、適当に飲み物でも淹れようとキッチンへ向かった。
「何か手伝ってあげようかしらぁ?」
その後を銀様がぺたぺた音を鳴らしながらついて来る。
好意は嬉しいがやたら太股が強調される格好なので、コチラとしてはとてもやりづらい。
「何も手伝わなくてい、いいよ。体中濡れて冷えてるんだから、コタツにでも潜っときなよ」
やんわりと断ると、銀様はむすっとした顔で一瞥。
鼻を一度鳴らすと、「さっさと用意なさい」と一言残してぺたぺた去っていった。
---
「あやしい天気の日は、折り畳み傘渡すよ」
ミルクをたっぷり、砂糖を一つ入れた紅茶を一口飲む。
「次からは貴方を無理矢理にでも連れて行くわ。雨よけ代わりに」
そう呟く銀様は、カップに砂糖を二つ入れて少し首を傾げる。
んー。と人差し指を口の前まで持っていって、何かを悩んでいる模様。
たっぷり三秒そのようにしていた銀様は、もう一個角砂糖を取り出して紅茶に投下。
スプーンでグルグル掻き混ぜてチョビっとほんの一口飲んだ。
「まぁ、それでも構わないよ。とにかく、あまり無茶しないようにね」
ティーカップを両手で持って紅茶の温度を味わっている銀様が、ピクリと動きを止めて俺の顔をマジマジ見る。
「な…なんだよ銀様…?」
「いつもなら、嫌だよ。とか言うのに一体どうしたの?」
「どうしたと言われても…。少し心配しただけだよ。なかなか帰ってこないから何かあったのかと思ってた」
「今日の貴方。…なんだか優しいわね」
「そ、そう、かな?銀様に言われると照れるよ。銀様ってそんな事全然言わないから余計にね。もしかして熱とかあるんじゃない?」
「……お馬鹿さん。一言…いや二言多いわよ」
銀様は、甘い紅茶を一口。
ほんのり暖かく、紅茶の香りのする溜息と一緒に呟いた。
「あっ、言い忘れてたけど」俺は紅茶のカップを下げながら、銀様に言う。「おかえりなさい」
「…ただいまぁ」
一瞬なんの事なのか戸惑った銀様だが、少し照れているような、困ったような顔で返事した。
銀様らしい表情だった。
---
おまけ
銀様のドレスは洗濯機に入れておいたし、明日一日干したら乾くと思う。
ブーツも新聞紙をクシャクシャにして詰めておいたから、明日にドレスと一緒に外に出しておこう。
明日。晴れだと、いいな。
真っ暗な部屋のベッドの上で。銀様の寝息を聞きながらただ天井を見る。
時々目を瞑ったりするけども、落ち着かない。
原因は、もちろん銀様の格好にあるのだが。
よく考えれば…いや、考えなくとも銀様にはあの白いワンピースを着てもらっておくべきだった。
生地の薄さ的にそんなに変わりは無いだろうが、それでもワンピースはワンピースだ。
本人にそう言ったけども、「着替えるの面倒だし、これでも十分だから別にいいわぁ」とのことだった。
それでも無理にでも着替えて貰った方がよかった。
ベッドに入って間もなく銀様が静かな寝息を立てた。
やはり体力的に消耗していたらしく、ぐっすりと深い眠りにはいったようだ。
こうなったらちょっとやそっとでは動かない。
ごろごろ動くよりはよっぽどマシだと思っていたのだが、今日ばかりはそうもいかない。
なぜなら、銀様が俺の右腕を抱き枕代わりにして、くーくー穏やかな寝相をみせているからだ。
眠るとき、息苦しくならないようにと、銀様がボタンを二つ外したのが幸い――災いして、
銀様がギュウっと俺の腕を引っ張る度に、なんだかやーらかくて暖かいモノ(あえて何かは考えない)が二の腕に当たるわ、銀様の吐息も相まって眠るどころじゃなかったりする。
腕を引き抜こうにも、抜いてる途中が非常に危なかったりする……。
身動きが…とれない。
「銀様。ちょっと…」
小声で言ってみたけれど、返ってくるのは規則的な呼吸。
今の俺にとっては悪魔以外の何者でもない、銀様のなんとも平和そうな寝顔。
お願いします銀様。眠らせてください。
このままだと、明日の朝は確実に死にます。
だから、どうかお願いします。
始まったばかりの夜に、俺は祈った。
---
世間ではゴールデンウィークが四日だったり、前半後半に分かれていたり、そもそもそんなもの無かったり…様々なようだ。
幸せなことに俺は五日丸々お休みで、本来通りのゴールデンウィークを送ることができそうだ。
ぐっすり寝てやろうと、あれほど昨夜は思っていたのにいつも通りの時間に目が覚めてしまった。
目覚まし時計のスイッチをOFFにしておいた意味が無い。
カーテンの隙間から薄蒼色の空が見えた。
太陽は未だに眠ったまま、涼しそうな外の空気を感じさせる色の空が広がっている。
ちょっと前まではまだ真っ暗だったのに…。本当に季節の移り変わりは速いものだ。
寝転んだまま背伸びを一つ。脱力して、更に深くベッドに倒れこむ。
二度寝しよう…。
ぼんやりと眺める先に、俺に背を向けたまま眠っている銀様がいる。
窓から入ってくる空の色が銀様の髪に染み込んで。
寝息を立てる僅かな起伏で銀色になったり、薄蒼色になったりとキラキラ光って…。
いつ見ても見惚れてしまう。いつまでも。このまま眺めていたい光景だ。
もそもそと、銀様を起こさないように近づく。
ほんの少しだけでも、近づけば近づくほどに堪らなく柔らかい、優しい匂いがする。
とても落ち着く香りで、目を瞑ればすぐに眠くなりそうな暖かさを感じる。
ゴールデンウィークの初日の早朝。
今、既に幸せな気持ちで一杯なのだが、これから先の事を考えると更に高揚してくる。
この連休に何をしようか。
ピクニックに行ってみたいな。花見のときは俺が死んでたから…、その仕切り直しという事で。
銀様が観たいと言ってた映画を借りてきて、それを観るのもいいかもしれない。ただ、十本以上あるのだが…。
次々と思案をめぐらせたが、現目標の二度寝が遂行できそうにないので止めた。
目を瞑って大人しく眠ることにする。
結局、連休といってもいつもの休日と変わらぬ時間を過ごしそうだ。
それでもいいかな。
銀様と一緒なら。
---
おまけ
ペチペチと頬に軽い衝撃が数回。
眩しい日の光に、目をしょぼしょぼさせながら開くと。
「私が起きろと言ったら、すぐに起きなさぁい」
ベッドのすぐ傍に腕を組んだ銀様。
「熟睡しすぎよぉ。全く、手間が掛かるわぁ」と、呆れ顔でなにやら文句を言っているらしい。
そんなに朝からカリカリしちゃって、きっと寝不足だよ銀様。
未だ夢の中のような、ぼんやりする起きぬけの頭でそう思った。
「銀様…。銀様も、も一回寝よう…ぜ……」
銀様の手首を掴んで引き寄せる。
突然の事にきゃっ。と甲高い悲鳴を上げて、俺の上に倒れてきた銀様をギュウっと抱きしめた。
「ちょっ!や、やめなさい!」
顔真っ赤にしてジタバタ暴れる銀様だが、「銀様はホントに可愛いなぁ…」と呟く俺に相当キレたらしい。
「こ…のっ!やめな…さい!!」
大声で叫んだと思ったら。
銀様が右手を大きく振り上げ……!
「おかげで完全に目が覚めたよ……」
鼻にティッシュを詰めて鼻血の流れをせき止める。
「本当にゴメン。銀様」
「あんなことする貴方のせいよぉ。自業自得よおバカさん!」
「寝ぼけてたとは言え、悪かったね…ゴメン」
フンっ!と。鼻を鳴らして、そっぽを向いてしまった銀様にとにかく謝った。
「普段からそれくらい大胆なら…」
「大胆なら…?」
小さく呟いた銀様に尋ねると、「何でも無いわよバカ!」あたふたしながら早口に言って、
「そ、そんなことより朝ご飯よぉ!ちょっとさっさと用意なさい」
こっちを向いて俺の袖を抓んでぐいぐい引っ張る。
俺を起こした本来の目的がそれだったらしい。
「もう十時だし、朝昼兼用ということで…ダメ?」
「ダメ。ほら、起きなさい」
こんな風に起こされるってのもいいな。
休日ならではだ。
リビングに向かいながらそんな事を思っていると、後ろから銀様にブーツのつま先で足を突かれた。
「まだぼーっとしてるの?もっと蹴ってあげましょうか?」
どこか楽しそうな声が後ろから聞こえてきた。
「いや、結構。もう起きてるよっ!と!」
お返しに、振り返って銀様をヒョイと抱っこしてやると、急に大人しくなってそのまま俺の腕に納まる。
リビングに着いて腕の中に視線を落とすと、抱きかかえられた格好のままの銀様と目があった。
「お、降ろしなさぁい…今、すぐに…」
「残念。もう着いたよ」
ソファにゆっくり降ろすと見せかけて、あと十センチというくらいになって手を放すと、らしくない甲高い悲鳴を一瞬上げる様子が可愛らしい。
「す、すぐにご飯の用意をするよ」
その様子があまりに可愛らしかったので笑いを隠しきれずに、吹き出しそうになりながら慌ててターンしてキッチンへ向かう。
後ろから真っ赤な顔で怒った銀様が、ふくらはぎ辺りを蹴ってくるのだが、その痛みさえ心地良く感じた。
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おまけのおまけ
「ダラダラ過ごすのもたまにはいいな」
「たまには、よぉ。いつもそうしてるとダメ人間になるわよ」
「分かってるよ。…あれ?銀様そのDVDアクションモノじゃないけど…」
「今日はシュワちゃんはお休みよぉー」
「銀様がラブコメ観るなんて珍しいね」
「こういうのも、たまにはいいんじゃないかしら?」
DVDプレーヤーのリモコン片手に、銀様は微笑んだ。
氷を入れたグラスに紅茶を目一杯入れて、急ぎ足で銀様の隣に戻る。
ミニテーブルにコースターを敷いて、銀様の分と、俺の分とを並べて置いた。
そして、すぐにキッチンへ戻ってガムシロップとミルクとを持ってくる。
画面にお馴染みの映画会社のロゴが仰々しいBGMと共に表示される。
「アイスティー置いとくよ。まだあまり冷えてないけど…」
「ありがと」
銀様が一言呟くと、ちょうどオープニングクレジットが始まった。
ソファに身体を沈めてのんびり観ることにする。
中盤くらいにさしかかったとき左から僅かな重み。
やはりアクションじゃないと退屈だったらしく、銀様は目を瞑ったまま俺のほうに凭れ掛かってきた。
ここから面白くなるのに眠るなんて…。
苦笑を浮かべながら、DVDプレーヤーのリモコンを探したが、ここからじゃ届きそうに無い。
ま、いいやこのままで。俺も、ちょっと眠ろうかな。
これくらいは、いいよね。銀様。
凭れてくる銀様の肩を優しく掴んで、少し、ほんの少しだけ引き寄せた。
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日中はついついこの間までの様に、窓から射し込む日光を浴びるていると、汗が滲む程に暖かくなってきました。
もう少しで夏だなと感じさせるくらい、太陽も元気です。
銀様も暑いと思ったみたいで、フと目に止まるといつかのワンピースを着て、椅子に座って鼻唄を口ずさみながら上機嫌に雑誌を捲っていたりします。
これからもっともっと暑くなると思うと、ちょっと気分が落ちるけども、再びやってくるこの夏が、
銀様と一緒の二回目の夏がくると思うと少し嬉しかったりします。
そういえば去年からクーラーが壊れたままでした。
銀様をじっと見つめてると、俺の視線に気付いて同じように返してきた。
俺に何の用も無いみたいなので、来る夏にむけてクーラーを修理しようかな。
が、それもあっと言う間に終わってしまいました。
電源は点いても送風されないので、中の機械がまるまるおかしくなったのだと思っていましたが、カバーを外して見てみると、ただの埃詰まりが原因でした。
大いに溜った埃を掃除機で取り除いて電源を点けてみると、また何時ぞやの様に23℃の風を届けてくれます。
少し拍子抜けです。
去年、敬遠して触れなかった事が悔まれます。
ともあれ、当面の目標を達成て再び暇です。
ソファに腰かけて暫しの間、電源の入っていない正面のテレビを背伸びでもしながらぼんやり眺めます。
こんな感じの何もない休日も好きだったりします。
今にも消えてしまいそうな微かな風がそよそよとカーテンを揺らして流れてきて、顔を撫でて行く感触を目を閉じて味わいます。
自然と体が横に傾いて行きますが制止する気はありません、為すに任せて座った姿勢のまま、横に倒れます。
ゆっくりなペースで銀様が捲るページの音、そよぐカーテンの擦れる鈴のような綺麗な音色。
それら一つ一つの音に耳を澄ましていると、気付かない内に眠っていそうな位の心地良い音です。
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そぉっと瞼を上げてみると、すぐ目の前で微笑みながら俺を観察中の銀様と目が合った。
2、3秒俺も見返して、再び目を閉じ――
「――ないで起きなさぁい」
と、銀様が頬を指先で叩いて妨害。
仕方なく、目は開けておく事にする。
「ちょっと目を瞑ってただけで寝てはいない…」外の空の色を一瞥。「…と思ったけど、寝てたね…」
お馬鹿さぁん。とニコニコ笑う銀様は、「ぐーすか寝てる貴方の寝顔観察してたんだけど。起きてる時の方が色々反応するから面白い、という結論に至ったわ」
そんなどうでもいいような事を結論付けられても困る。
おもむろにぴょこりと立ち上がった銀様は、そのままベランダに向かって手摺に飛び乗った。
しっとりと吹く風に髪を柔らかくなびかせて、銀様は手摺に腰掛けて、
「ちょっとこっちに来て眠気でも覚ましなさい。風が気持ちいいわよぉ」
と、あっちを向いたまま誘ってくれる。
「あぁ、…そうだね。そうしよう」
余り動いていないので身体が軽く感じた。ちょっとぼんやりする頭も相まって、ふわふわとまだ夢の中のような気分です。
「ホントだ。風が冷たい!あー、夏もこんな風が吹いてくれればなぁ…」
誰に言うでもなく、沈みかけの夕日を眺めて一人ごちました。
銀様の隣へ行って、手摺に両手を乗せて、風と手摺の金属の冷たさも味わいます。
「そういえばもう一年ねぇ……」
そう言って銀様は黙り込んでしまう。
「んー…、銀様が来てからかい?それはもうちょっと先だったような…」
銀様の手が俺の頭をポフポフ叩く。
「細かいコトは気にしないの」
コホンと咳払いして、俺の頭に乗っけた手をどけて、「色々あったわねぇ」と誰に言うでもなく呟きました。
「今は涼しいけど、そろそろ夏がくるよ」
「暑いのは苦手よ。でも…」
「でも…?なに?」
そわそわ落ち着かないご様子の銀様は、
「ちょっとお腹すいてきちゃったわぁ」と、照れたように――いや、照れながら小さく笑った。
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「では、お席までご案内します」
わざとらしく大袈裟にお辞儀して、「お客様、お手を」
左手を銀様に差し出すと、おかしくて堪らないのかほとんど噴き出しそうな声で返事して、俺の手に片手を軽く載せて微笑んだ。
俺も笑ってしまう一歩手前で唇を噛み締めて堪えている状態だ。
「お客様。何にいたしましょうか。只今シェフの気まぐれディナーが人気ですよ」
キッチンからご注文を伺う。
カウンターの先から、「それってどんな内容なのかしら?」と、テーブルに肘をついて、銀様がお尋ねしてくる。
「こちらのメニューは、インスタントラーメンとオニギリ一個でございます」
「それって一般的には手抜きっていうのよ」
「いいや、ちゃんとした立派な料理だよ」
「それでいいわぁ」
「えっ!?」
「それを作りたいっていうのならいいわよ」
俺の目をじっと見て、真剣な表情。
「そ、そう言われると困るな……茄子グラタンでも作る、かな」
「じゃあそれをお願いするわぁ。コックさん」
俺に笑いかけながらそう言った銀様の輝くような髪を、風が揺らします。
もうそろそろ夏がやってきます。
銀様と過ごす二度目の夏です。
何度も何度も経験してきた季節ですが、なんだかとても新鮮に思えてきます。
やっぱり銀様が居るからでしょうか。
夏よりも明日、明日よりも今日がとても楽しみに過ごせる、そんな初夏になりかけの春の終わりの、今日この頃です。
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